一般社団法人 日本植物生理学会 The Japanese Society of Plant Physiologists

異分野融合の「ミックスラボ」で目指す植物科学の新展開

本稿では、「トランスフォーマティブ生命分子*」の開発を通じて植物科学に(あるいは、さらに広く生命科学全般に)新展開を引き起こすことを目標に、筆者の所属する名古屋大学で新しく始まった試みについて解説します。

*トランスフォーマティブ生命分子
ペニシリン・フラーレン・緑色蛍光タンパク質(GFP)など、生命科学・技術・社会を根本的に変えうる画期的な機能分子を我々はトランスフォーマティブ生命分子と呼びます。

オープンな研究環境を実現する「ミックスラボ」

 筆者の所属する名古屋大学トランスフォーマティブ生命分子研究所(ITbM)は、「分子」をキーワードに動植物の生殖や成長の解明や制御を目的とした異分野融合研究を推進するために新しく設立された研究所です。その理念を実現するための最も大きな特徴は、研究グループごとに個別の研究室を持つ、という従来の仕組みに存在する物理的そして意識的な壁を排除し、生物学者・化学者・計算科学者が同じ空間で研究を行う「ミックスラボ」の存在です。
 2015年4月に完成したITbM棟(図1)では、このミックスラボの理念が建物全体に導入されており、人と人とのコミュニケーション・研究の融合・斬新なアイディアの創出のためのさまざまな工夫が為されています。実験エリアと居室エリアは2層1組で構成されており、居室からは実験エリアを眺めることができます(図2)。視界を遮る壁のない見通しの良い居室には、教員・研究員・学生・技術員が研究グループの区別なく混在し、絶え間ないコミュニケーションが行われています。異分野融合研究推進の要であるコミュニケーションを促進するためのスペースは、居室の他にも建物の各所に配置されており(図3・4)、ITbM棟全体が一体感のある空間となっています。
  ITbMではこの「ミックスラボ」効果を活かして、花を早く咲かせる分子、植物の生育を促進する分子、自然界では起こらない交配を可能にする分子、有害植物の撲滅に役立つ分子、従来は不可能であった観察法を実現する蛍光分子など、実に様々な画期的機能分子の開発とそれを活用した新しいスタイルの研究が日々進んでいます。


図1 ITbM棟

 


図2 らせん階段で結ばれた居室エリア(上階)と実験エリア(下階)

 


図3 新しい発想を促す、ゆとりのあるリフレッシュスペース

 


図4 研究者の交流を促すウッドデッキと360度ガラス張りのセミナールーム

 
「ミックスラボ」で加速する異分野融合研究

 研究の焦点を「分子」に当てるITbMでの研究の方向性は、大きく二つに分類できます。一つは、着目する現象に対して望んだとおりの効果を発揮する化合物を化合物ライブラリーから探し出し、その「当たり」化合物を起点にさらに研究を展開していく方向性です。生物学者が見つけ出した当たり化合物に関しては、化学者が迅速に様々な改変を行うことで、化合物の生体内での作用相手を同定するための修飾を化合物に導入する、作用をより強くする、副作用を軽減するなど、基礎と応用の両面でのさらなる展開に向けてその化合物を育て上げます。
 もう一つは、過去の知見を踏まえた合理的な思考に基づいて、着目する現象の斬新な観察や人為的な操作を可能にする新しい機能性分子をデザインし、それを実際に合成する方向性です。生み出した新機能性分子を活用することで、従来にはない新しい角度からの研究を展開します。
 これらの研究を行うにあたって研究の推進を力強く支えているのは、やはり「ミックスラボ」の存在です。当たり化合物を改変するにしろ、新機能性分子をデザイン・合成するにしろ、生物学者だけでは成し遂げることはできません。しかし、ITbMでは「ミックスラボ」の同じ空間で活動する生物学者・化学者・計算科学者が日常的に様々なアイディアを議論しています。そして、議論がまとまると、まさにその日のうちに化学者がその合成に着手します。化合物が完成すると即座に生物学者に手渡され、迅速にその化合物を用いた実験が行われます。実験結果が出るとすぐに、その結果をもとに次の展開に向けた議論が始まります。このサイクルが自然に無理なく回り続ける「ミックスラボ」での研究のスピード感や躍動感は、一度味わうとクセになります。


国際的な研究環境

 異分野融合研究と並ぶITbMの特徴の1つに、その国際的な研究環境が挙げられます。所属研究者の常時30%以上を外国人が占め、研究所内の公用語は英語です。また、ITbMでは現在11の研究グループが活動していますが、そのうちの4グループでは、海外を拠点に活躍するスター研究者が主任研究者(海外主任研究者)を務めています。植物科学分野で著名な鳥居啓子博士(ハワードヒューズ医学研究所・ワシントン大)とSteve Kay博士(スクリプス研究所・所長)も海外主任研究者としてITbMに所属しています。1年のほとんどを海外で過ごす海外主任研究者のITbMにおける円滑な研究活動を支えるために、これらのグループではITbM専任の共同主任研究者が海外主任研究者と協力して研究グループを運営しています。海外で研究の最前線に立ち続けるスター研究者たちの研究に対する意識は常に高く、その研究姿勢から学ぶべき点は極めて多いですが、それを日本国内にいながら日常的に吸収できる環境は刺激的です。

 異分野融合を促進する「ミックスラボ」と「国際的な研究環境」を両輪に、植物科学・生命科学の新展開を目指すITbMの挑戦はまだ始まったばかりです。ミックスラボ発の成果も少しずつ世に発表され始めてはいますが、まだまだ多くの研究が現在進行形で進んでいる最中です。今後、ITbMからどのような画期的な成果やトランスフォーマティブ生命分子が生まれるのか、ぜひご期待いただきたいと思います。

ITbMにご興味を持たれた方は、以下の研究所のHPもぜひご覧ください。
 http://www.itbm.nagoya-u.ac.jp/index-ja.php

名古屋大学 トランスフォーマティブ生命分子研究所(ITbM) 打田直行
uchinao@itbm.nagoya-u.ac.jp
(写真提供:施設・環境計画推進室 脇坂圭一 環境学研究科准教授)