細胞壁

 細胞壁のことは、皆さん、よくご存じでしょう。中学の理科でも、高校の生物でも、教科書の 「細胞」 の章には必ず細胞壁が出てきます。そこには、「細胞壁は植物細胞に特徴的な構造で、細胞膜の外側にあって、細胞を包み、細胞や組織を支える働きをしている。動物細胞にはない。」 というような事が書いてあったはずです。

 図1を見てください。これも見覚えがあるでしょう。ロバート・フックが1665にロンドンで出版した “ミクログラフィア (Micrographia)” の中の歴史的な図です。コルクガシという大木のコルク層をカミソリでそいで自作の顕微鏡で観たものです。この蜂の巣状の構造をフックが小部屋 (cell) と表現したことから、現在の細胞 (cell) という生物用語が生まれたこともご存じでしょう。フックが見たcellは原形質を無くして壁 (wallsとフックは表現しています) のみになった細胞でした。つまり、細胞の発見は、細胞壁 (cell wall) の発見でもあったわけですね。

図1

 フックが見た細胞壁は、確かに硬そうで、いかにも植物体を支える役割を担っていそうです。それでは、そのように硬い細胞壁に囲まれた植物細胞がどうして何百倍、何千倍の大きさに成長できるのでしょうか。この疑問は、実は、19世紀に植物生理学という学問ができた頃から研究者を悩ませ続けてきた難問の一つです。今もって完全には解明されていませんが、1990年代から、それに関わる分子が同定され、その仕組みが少しずつ明らかになって来ました。

 それを説明するためには、植物細胞壁が何からできているかについて話さなければなりません。植物は4億5千万年前に陸上に進出したとされています。その時に細胞壁の構造や働きが大きく変わり、陸上環境での生存に適したものになったことがいろいろな証拠から推定されています。現在の陸上植物の細胞壁の特徴は、セルロース微繊維とマトリックス多糖類を主要成分としていることです。セルロース微繊維は細胞膜表面のセルロース合成装置で作られ、細胞膜の外に紡 (つむ) ぎ出されます。一方、マトリックス多糖類の主要な成分はキシログルカンとペクチンで、それぞれゴルジ体内で、多数の酵素群の共同作業で作られ、エキソサイトシスという方法で細胞膜の外側、すなわち細胞壁中に分泌されます。細胞壁中に紡ぎ出されたセルロース微繊維はマトリックス多糖類と様々な相互作用で結合したり、絡まったりしながら、網目状の枠組みを作ります。また、その網目状構造の隙間には、いろいろなタンパク質が存在しています。これらのタンパク質の多くはマトリックス多糖をつなぎ替えたり、分解したり、加工したりする働きを持つ酵素です。これらの酵素の働きで、細胞壁の網状構造は常に、増築、改修、解体を繰り返しています。

 図2は現在考えられている陸上植物の細胞の図です。フックの図とは大きく異なります。細胞壁を合成するための素材は細胞の内側から膜交通・分泌という過程を経て供給されますが、出来上がった細胞壁は、細胞の外側で、半ば自律的に自分で自分を作り変えることができるのです。この仕組みで、細胞は自在に細胞壁の形を変えて、大きく成ることができるのです。フックが描いた硬い細胞壁は成長が停止した細胞の二次細胞壁と呼ばれるものです。それに対して、成長している細胞の細胞壁は、強靱ではありながら、しなやかで、ダイナミックで、一次細胞壁と呼びます。植物の成長は一次細胞壁の変化を通して制御されているといえます。

図2

 細胞壁の働きは細胞成長の制御だけではありません。陸上に進出した植物は維管束という仕組みを作って体内に水や養分を循環し、それによって植物は大型化することができました。

 それだけでなく、植物細胞壁は、外界から侵入する病害微生物や捕食者や物理環境の変化など、様々な情報を感受し、細胞の表層の状態を監視するはたらを担っています。細胞の表層で感受された情報は、細胞壁の中である程度 「処理」 された後、その情報を整理して細胞の内部に伝えると同時に、外界や隣接する細胞に向けて直接発信します。細胞の働きの中枢は核や細胞質であり、細胞の情報処理は専らそこで行われると考えられてきましたが、外側の細胞壁にも情報処理を行う仕組みがあることが分かってきました。細胞壁のこのような働きにより、外部からの侵入者が外敵と判断されると細胞は生体防御反応により外敵の侵入を防ぎます。一方、共生生物と判断されると、攻撃せず、共生関係を作るように細胞が反応します。細胞壁の情報処理能力についての研究は始まったばかりで、細胞壁研究の最もホットな領域の一つです。 (http://www.plantcellwall.jp

植物細胞壁は植物に取っての重要性だけでなく、地球上で最も多量に存在する循環型炭素資源 (バイオマス) という側面があり、人類にとっても掛け替えのない資源ですが、余白がないので、このことは、またの機会にします。

さらに理解を深めたい方には次の総説集や専門書をお勧めします。

遺伝66巻1月号 特集 「植物細胞壁研究の新局面」 (2012) エヌ・ティー・エス
「植物細胞壁」 西谷和彦・梅澤俊明 (編) (2013) 講談社

東北大学大学院生命科学研究科 西谷 和彦 (文)
立教大学理学部 工藤 光子 (図2)