質問者:
その他
大沼 田鶴子
登録番号0311
登録日:2005-07-20
初めて質問させていただきます。栄養成長から生殖成長に切り替わりには何が作用するのですか?
栄養成長から、花を付ける生殖成長に切り替わりには何が作用するのでしょうか?
何時も不思議に思っています。
よろしくお願いします。
ご質問に対して現代「花成学」の第一人者である京都大学の荒木 崇先生から次のように丁寧は回答を頂きました。表現は平易でも内容としてかなり高度な、難しい点が含まれていますが、十分ご理解できない点や、新たな関連質問がありましたらご遠慮なく質問コーナーへお寄せ下さい。
大沼 田鶴子 様
こんにちは。
回答を準備するのに先立ち、ホームページを拝見いたしました。とても丹精され、さまざまな植物を育てていらっしゃるようで、そのような植物を愛好される方が植物生理学に関心を持ってくださるのは大変に嬉しいかぎりです。私たちが日々おこなっている研究の成果が、大沼さんのような方たちの植物の楽しみを少しでも豊かにする助けになればよいのですが。
さて、栄養成長から生殖成長に切り換わりに作用する要因ですが、植物の一生にとっては非常に重要な過程ですから、様々な要因が関わっています。栄養成長から生殖成長への切り換え(花成 [かせい]といいます)のしくみについての私たちの理解は、最近10年あまりの間に、シロイヌナズナ Arabidopsis thaliana というアブラナ科の一年生草本植物を用いた研究によってかなり深まりました。この植物でわかってきたことを中心に、以下、主要な要因をいくつか挙げてみます。
(1)温度
植物は長期間の低温を経験することで冬の経過を認識していることが判っております。秋に発芽して翌春に花を咲かせるような植物の場合、発芽した後に長期間の低温を経験することなしには、適当な条件を与えても生殖成長に入ることがありません。これは冬に花を咲かせてしまうことを防ぐしくみと考えられます。
発芽してしばらくした植物では、花成を妨げる遺伝子が働いていることがわかってまいりました。長期間の低温(冬ですね)を経験する間に、この花成を妨げる遺伝子のはたらきが徐々に弱まっていき、やがて、再び働くことがない状態になります。この状態になると、適当な条件を与えられれば花成ができる態勢になります。
以上は、長期間の低温(冬)と花成の関係ですが、春になってからの温度(の高低)と花成の関係については残念ながらほとんどわかっていません。温度というのはわかりやすい環境要因ですが、なかなか研究の糸口がつかみにくいためです。
(2)日長
日長が花成の時期を決める主要な環境要因であることは、1910年代に明らかになりました。実は、生物の様々な営み(鳥の渡りや繁殖、昆虫の蛹の休眠など)は日長によって大きく影響を受けるという考え方が確立されたきっかけは、花成と日長の関係を明らかにした研究でした。
植物は、独自の光センサーと体内時計を使って、日の長さを計り、季節を判断して、花成の時期を決めています。
シロイヌナズナの場合、日が長い(長日条件)の場合に花成が早くおこり、日が短い場合(短日条件)には花成が遅れます(「長日植物」といいます)。
長日条件では、光センサーと体内時計の働きによって、COという遺伝子の働きが高まります。CO遺伝子の働きが高まると、その働きによって、FTという遺伝子が働くようになります。FT遺伝子は花成のスイッチと考えられている遺伝子です。一方、短日条件では、CO遺伝子の働きは低く抑えられ、FT遺伝子はなかなか働くことができません。そのため、花成が遅れます。
興味深いことに、シロイヌナズナとは大変に遠縁のイネ(シロイヌナズナとは反対に、短日条件で花成がおこる「短日植物」です)でも、CO遺伝子とFT遺伝子の働きによって、この場合には短日条件で花成がおこることがわかっています。農水省と奈良先端科学技術大学院大学の研究グループが明らかにしたことです。
FT遺伝子については、
http://www.jspp.org/17hiroba/photo_gallery/07_araki/07_araki.html
をご覧ください。
(3)光の質
光の質と書くと難しそうに聞こえますが、これは、直接日光が当たっているか、ほかの植物の葉を通した光が当たるか(つまりほかの植物の陰になっているか)、ということです。葉は緑色をしていますが、これは光の赤色の部分をよく吸収し、緑色の部分をあまり吸収しないためです。植物は、自分に当たる光の中の赤色の部分が少ない場合に、ほかの植物の陰になっていることを知るようです。その場合に、植物はまず背丈を伸ばしてほかの植物の陰から脱出しようとします。しかし、どうしても脱出できない場合(例えば、林床で発芽してしまったような場合)、持っている栄養分を使って速やかに花を咲かせ、種子をつけます。そして、種子という形で、日当たりがよくなる機会を待ちます。
つまり、ほかの植物の葉を通した赤色の成分が少ない光は花成を早める(ひょろっとした植物にもなりますが)のです。このとき、植物は赤色の光を感じる光センサーの働きによってFT遺伝子のような花成のスイッチ遺伝子の働きを調節していることがわかってきました。
(4)窒素と炭素の割合
窒素肥料を少なめにすることで花成が促進できることが経験的に知られています。残念ながら、今のところそのしくみはほとんどわかっていません。これからの重要な課題のひとつです。
(5)植物の齢
これも少しわかりにくいかもしれません。シロイヌナズナのような一年生草本植物ではあまりはっきりしないのですが、木本植物では、発芽してから数ヶ月〜数年は花を咲かせない「幼若期」があります。「桃栗3年柿8年」というのがそれに当たります。これは、適当な環境条件におかれてもそれに反応して花成できない時期があることを意味すると解釈されています。いまのところ、そのしくみはよくわかっていません。ポプラや柑橘類などを用いた実験から、FT遺伝子のような花成のスイッチ遺伝子の働きを人為的に高めることで、幼若期を極端に短縮できることがわかっています。
(6)「花成ホルモン」
上に述べた日長と関連して、「花成ホルモン」(フロリゲン)と呼ばれる物質の存在がこれまで信じられてきました。これは高校の生物の教科書や参考書にも登場します。「花成ホルモン」は適当な日長を受けた葉がつくると考えられるもので、成長点(芽)に運ばれて、そこで花芽をつくらせると考えられてきました。残念ながら、「花成ホルモン」(フロリゲン)という名前ができてから70年が過ぎた今日に至っても、その実体は明らかになっていません。
私の研究室では、「花成ホルモン」(フロリゲン)の実体を明らかにすることを重要な課題のひとつと考えて研究を進めています。実は、最近の研究から、FT遺伝子(数年前に私の研究室とアメリカの研究室が見つけた遺伝子です)と「花成ホルモン」(フロリゲン)の密接な関係が明らかになってきました。これについては、近くサイエンスというアメリカの科学雑誌に論文が出る予定です(8月12日号)。機会を見て、「みんなの広場」にも内容を紹介したいと思います。それまでお待ちください。
すっかり説明が長くなってしまいました。
花成に関しては、以前に、JT生命誌研究館(高槻市)の季刊誌『生命誌』に紹介文を書いております。
http://www.brh.co.jp/experience/exhibition/is/no15.html
「目次」の中から
「花が咲くということ:荒木崇」を選んでいただければ全文がご覧になれます。
こちらも参考にしていただければ幸いです。
また、以前に私たちの日本植物生理学会の会長も務めていらした瀧本敦先生(京都大学名誉教授)が『花を咲かせるものは何か』(中公新書)という本を書かれています。瀧本先生はアサガオを使って花成の研究をしてこられたパイオニアのお一人です。とてもよい本ですから、機会がありましたらお読みになってください。
荒木 崇(京都大学大学院理学研究科)
大沼 田鶴子 様
こんにちは。
回答を準備するのに先立ち、ホームページを拝見いたしました。とても丹精され、さまざまな植物を育てていらっしゃるようで、そのような植物を愛好される方が植物生理学に関心を持ってくださるのは大変に嬉しいかぎりです。私たちが日々おこなっている研究の成果が、大沼さんのような方たちの植物の楽しみを少しでも豊かにする助けになればよいのですが。
さて、栄養成長から生殖成長に切り換わりに作用する要因ですが、植物の一生にとっては非常に重要な過程ですから、様々な要因が関わっています。栄養成長から生殖成長への切り換え(花成 [かせい]といいます)のしくみについての私たちの理解は、最近10年あまりの間に、シロイヌナズナ Arabidopsis thaliana というアブラナ科の一年生草本植物を用いた研究によってかなり深まりました。この植物でわかってきたことを中心に、以下、主要な要因をいくつか挙げてみます。
(1)温度
植物は長期間の低温を経験することで冬の経過を認識していることが判っております。秋に発芽して翌春に花を咲かせるような植物の場合、発芽した後に長期間の低温を経験することなしには、適当な条件を与えても生殖成長に入ることがありません。これは冬に花を咲かせてしまうことを防ぐしくみと考えられます。
発芽してしばらくした植物では、花成を妨げる遺伝子が働いていることがわかってまいりました。長期間の低温(冬ですね)を経験する間に、この花成を妨げる遺伝子のはたらきが徐々に弱まっていき、やがて、再び働くことがない状態になります。この状態になると、適当な条件を与えられれば花成ができる態勢になります。
以上は、長期間の低温(冬)と花成の関係ですが、春になってからの温度(の高低)と花成の関係については残念ながらほとんどわかっていません。温度というのはわかりやすい環境要因ですが、なかなか研究の糸口がつかみにくいためです。
(2)日長
日長が花成の時期を決める主要な環境要因であることは、1910年代に明らかになりました。実は、生物の様々な営み(鳥の渡りや繁殖、昆虫の蛹の休眠など)は日長によって大きく影響を受けるという考え方が確立されたきっかけは、花成と日長の関係を明らかにした研究でした。
植物は、独自の光センサーと体内時計を使って、日の長さを計り、季節を判断して、花成の時期を決めています。
シロイヌナズナの場合、日が長い(長日条件)の場合に花成が早くおこり、日が短い場合(短日条件)には花成が遅れます(「長日植物」といいます)。
長日条件では、光センサーと体内時計の働きによって、COという遺伝子の働きが高まります。CO遺伝子の働きが高まると、その働きによって、FTという遺伝子が働くようになります。FT遺伝子は花成のスイッチと考えられている遺伝子です。一方、短日条件では、CO遺伝子の働きは低く抑えられ、FT遺伝子はなかなか働くことができません。そのため、花成が遅れます。
興味深いことに、シロイヌナズナとは大変に遠縁のイネ(シロイヌナズナとは反対に、短日条件で花成がおこる「短日植物」です)でも、CO遺伝子とFT遺伝子の働きによって、この場合には短日条件で花成がおこることがわかっています。農水省と奈良先端科学技術大学院大学の研究グループが明らかにしたことです。
FT遺伝子については、
http://www.jspp.org/17hiroba/photo_gallery/07_araki/07_araki.html
をご覧ください。
(3)光の質
光の質と書くと難しそうに聞こえますが、これは、直接日光が当たっているか、ほかの植物の葉を通した光が当たるか(つまりほかの植物の陰になっているか)、ということです。葉は緑色をしていますが、これは光の赤色の部分をよく吸収し、緑色の部分をあまり吸収しないためです。植物は、自分に当たる光の中の赤色の部分が少ない場合に、ほかの植物の陰になっていることを知るようです。その場合に、植物はまず背丈を伸ばしてほかの植物の陰から脱出しようとします。しかし、どうしても脱出できない場合(例えば、林床で発芽してしまったような場合)、持っている栄養分を使って速やかに花を咲かせ、種子をつけます。そして、種子という形で、日当たりがよくなる機会を待ちます。
つまり、ほかの植物の葉を通した赤色の成分が少ない光は花成を早める(ひょろっとした植物にもなりますが)のです。このとき、植物は赤色の光を感じる光センサーの働きによってFT遺伝子のような花成のスイッチ遺伝子の働きを調節していることがわかってきました。
(4)窒素と炭素の割合
窒素肥料を少なめにすることで花成が促進できることが経験的に知られています。残念ながら、今のところそのしくみはほとんどわかっていません。これからの重要な課題のひとつです。
(5)植物の齢
これも少しわかりにくいかもしれません。シロイヌナズナのような一年生草本植物ではあまりはっきりしないのですが、木本植物では、発芽してから数ヶ月〜数年は花を咲かせない「幼若期」があります。「桃栗3年柿8年」というのがそれに当たります。これは、適当な環境条件におかれてもそれに反応して花成できない時期があることを意味すると解釈されています。いまのところ、そのしくみはよくわかっていません。ポプラや柑橘類などを用いた実験から、FT遺伝子のような花成のスイッチ遺伝子の働きを人為的に高めることで、幼若期を極端に短縮できることがわかっています。
(6)「花成ホルモン」
上に述べた日長と関連して、「花成ホルモン」(フロリゲン)と呼ばれる物質の存在がこれまで信じられてきました。これは高校の生物の教科書や参考書にも登場します。「花成ホルモン」は適当な日長を受けた葉がつくると考えられるもので、成長点(芽)に運ばれて、そこで花芽をつくらせると考えられてきました。残念ながら、「花成ホルモン」(フロリゲン)という名前ができてから70年が過ぎた今日に至っても、その実体は明らかになっていません。
私の研究室では、「花成ホルモン」(フロリゲン)の実体を明らかにすることを重要な課題のひとつと考えて研究を進めています。実は、最近の研究から、FT遺伝子(数年前に私の研究室とアメリカの研究室が見つけた遺伝子です)と「花成ホルモン」(フロリゲン)の密接な関係が明らかになってきました。これについては、近くサイエンスというアメリカの科学雑誌に論文が出る予定です(8月12日号)。機会を見て、「みんなの広場」にも内容を紹介したいと思います。それまでお待ちください。
すっかり説明が長くなってしまいました。
花成に関しては、以前に、JT生命誌研究館(高槻市)の季刊誌『生命誌』に紹介文を書いております。
http://www.brh.co.jp/experience/exhibition/is/no15.html
「目次」の中から
「花が咲くということ:荒木崇」を選んでいただければ全文がご覧になれます。
こちらも参考にしていただければ幸いです。
また、以前に私たちの日本植物生理学会の会長も務めていらした瀧本敦先生(京都大学名誉教授)が『花を咲かせるものは何か』(中公新書)という本を書かれています。瀧本先生はアサガオを使って花成の研究をしてこられたパイオニアのお一人です。とてもよい本ですから、機会がありましたらお読みになってください。
荒木 崇(京都大学大学院理学研究科)
JSPPサイエンス・アドバイザー
今関 英雅
回答日:2009-07-03
今関 英雅
回答日:2009-07-03