質問者:
大学生
stm
登録番号1194
登録日:2007-02-20
植物生理学は専門分野ではありませんが、いつもこの質問コーナーを読んで植物の勉強をさせていただいております。みんなのひろば
「抗凍結」と「耐凍」について
早速ですが、この前英語論文を訳していてふと思ったのですが、「抗凍結」という言葉と「耐凍」という言葉の意味は同じなのでしょうか。
「抗凍結」は字から判断すると、「凍結に抗う」という意味で、「耐凍」は「凍結に耐える」という意味なのではないだろうかと思います。
以前この質問コーナーで植物の耐凍性について詳しく説明されているのを読んだのですが、植物体内には水分が存在しているので、たいていの植物は植物体内のどこかは必ず凍ると理解しました(理解不足であれば申し訳ありません)。
であれば、「抗凍結」の「凍結に抗う(=抵抗する)」という意味の段階だとまだ植物体は凍結前で、「耐凍」の「凍結に耐える」という意味の段階だともう植物体は凍結しているような気がします。
これは、cryoprotection という単語を調べていたときになかなか訳が見つからず、cryoprotectantという単語を調べて「抗凍結剤」と2,3の辞書で出てきたため、混乱してしまいました。
cryoprotectionを文脈や著者の方の研究内容から判断すると「耐凍性」という意味になるのではと考えたためです。
勉強が足りないのかもしれませんがご教授お願いいたします。
stm さん:
日本植物生理学会 みんなの広場 質問コーナーのご利用ありがとうございます。お待たせしました。耐凍性、耐寒性に関するご質問は、植物の低温耐性の研究を広くなされている岩手大学の上村松生先生に伺い、次のようなご丁寧な解説をいただきました。科学の世界では言葉の定義をきちんとすることはとても大切なことなのですが、ときどき曖昧に使っている専門家すらいるため混乱することもあります。上村先生の解説は大変お役に立つと思います。
stm 様
なかなか専門的なご質問なので、うまく理解していただけるかどうか不安ですが、お答えしてみます。
「抗凍結」にはantifreezeという単語が相当し、「耐凍」にはfreezing toleranceが該当することが多いと思います。stmさんが理解しているように、植物では凍結温度(ここでは、簡単に話をするために0℃以下の温度と定義しましょう)になると、ほとんどの場合、植物体のどこかに氷ができます。しかし、組織や器官によっては、氷ができない場所も存在します(質問1193への回答を参考にしてください)。そのような場所においては、氷ができてしまうと生存できなくなるわけですから、凍結温度において植物体の限られた場所で「抗凍結」という現象が存在することになります。しかし、同じ植物体の他の場所には、氷が存在しており、その組織・器官では氷があってもある温度までは生存できるわけです。従って、植物体を考えると、私達は「耐凍」の中に「抗凍結」を含んだ概念でこれらの言葉を使用しているのです。
一方、冬に水温が0℃以下に低下する海中に棲む魚類(タラ、コマイなど)の体液には、冬の間に不凍タンパク質(antifreeze protein)が蓄積し、体液が凍結するのを防ぎ、このような低温で生存できるようにしていることが知られています。また、ある種の昆虫では不凍タンパク質に加え、グリセロールなどの糖アルコールと呼ばれる物質や、トレハロースなどの糖類を蓄積して、体内に氷ができないようにしていることも知られています。このような物質を総称してantifreeze substance(不凍物質、抗凍結物質)と呼び、これらの物質はcryoprotectant(凍害防御剤、氷晶形成抑制物質)として様々な実験に用いられています。例えば、精子や卵、植物の生長点などを超低温(液体窒素温度)で長期保存し、生物の遺伝的多様性を保つことを目指す計画などが該当します。
では、植物にはこのようなantifreeze substance物質が存在するのでしょうか?
その答えは、"Yes"です。Antifreeze substanceは、植物にも広く存在していることが知られています。ただ、魚類や昆虫で知られているように全体を凍結しないようにしているわけではありません。例えば、植物を低温で育てるとショ糖やブドウ糖などの糖類やプロリンなどのアミノ酸を蓄積することが知られています。これらの物質の蓄積は、細胞内に溶けている溶質濃度を上昇させ、その結果として、細胞内の水分は凍りにくくなるわけですから、antifreeze substanceの一種であると考えることもできます。さらに、植物は低温という情報を受け取ると、積極的にタンパク質や低分子化合物などの不凍物質を合成することも明らかになってきました。低分子化合物は、-40℃付近まで気温が低下しても氷ができない北方に生きる樹木の木部柔細 胞に多量に蓄積し、蓄積した濃度による氷点降下能力では説明できない程の過冷却能 (言い換えれば、不凍能力)を持つことが知られています。一方、一般に、植物の不凍タンパク質は氷形成を押さえる能力小さく、それだけでは植物の生存可能な凍結温度を説明できないことから、その不凍能力が植物の耐寒性に貢献している度合いは小さいと考えられています。
ところが、不凍タンパク質にはもう一つ異なった能力があるのです。それは、不凍タンパク質が氷の結晶の表面に結合し、氷結晶が大きくなることを防ぐ能力です。事実、不凍タンパク質が存在する条件では、氷の成長速度が遅くなることや、氷結晶があらゆる方向に広がって球状になるのではなく一定の方向に成長する(結果として、六角柱、円盤状、算盤のコマのような形など)ことなどが報告されています。つまり、植物体内を考えると、いったん氷ができてしまっても、その氷が大きくなって細胞や組織に不均一な圧力を与えて生存を脅かすことを防ぐことができるのではないかと考えられています。それを反映するためかどうかは明確ではありませんが、不凍タンパク質の中には細胞外(細胞壁や細胞間隙と呼ばれる部分)に分泌されるものがあることも報告されています。
以上のように、植物には、動物と同じような不凍物質を蓄積するものの、動植物の体制や生存環境の違いから、その物質の働きは異なっているのではないかと考えられます。「不凍=antifreeze:という動物で見つかった現象が、異なった機構である「耐凍=freezing tolerance」を有する植物の世界へ輸入されたことによる混乱が、stmさんのご質問につながったのかもしれません。
理解していただけたでしょうか?もし、まだ説明が不足でわかりにくいことや、もう少し知りたいというようなことがありましたら、いつでもご連絡ください。
上村 松生(岩手大学農学部附属寒冷バイオシステム研究センター)
日本植物生理学会 みんなの広場 質問コーナーのご利用ありがとうございます。お待たせしました。耐凍性、耐寒性に関するご質問は、植物の低温耐性の研究を広くなされている岩手大学の上村松生先生に伺い、次のようなご丁寧な解説をいただきました。科学の世界では言葉の定義をきちんとすることはとても大切なことなのですが、ときどき曖昧に使っている専門家すらいるため混乱することもあります。上村先生の解説は大変お役に立つと思います。
stm 様
なかなか専門的なご質問なので、うまく理解していただけるかどうか不安ですが、お答えしてみます。
「抗凍結」にはantifreezeという単語が相当し、「耐凍」にはfreezing toleranceが該当することが多いと思います。stmさんが理解しているように、植物では凍結温度(ここでは、簡単に話をするために0℃以下の温度と定義しましょう)になると、ほとんどの場合、植物体のどこかに氷ができます。しかし、組織や器官によっては、氷ができない場所も存在します(質問1193への回答を参考にしてください)。そのような場所においては、氷ができてしまうと生存できなくなるわけですから、凍結温度において植物体の限られた場所で「抗凍結」という現象が存在することになります。しかし、同じ植物体の他の場所には、氷が存在しており、その組織・器官では氷があってもある温度までは生存できるわけです。従って、植物体を考えると、私達は「耐凍」の中に「抗凍結」を含んだ概念でこれらの言葉を使用しているのです。
一方、冬に水温が0℃以下に低下する海中に棲む魚類(タラ、コマイなど)の体液には、冬の間に不凍タンパク質(antifreeze protein)が蓄積し、体液が凍結するのを防ぎ、このような低温で生存できるようにしていることが知られています。また、ある種の昆虫では不凍タンパク質に加え、グリセロールなどの糖アルコールと呼ばれる物質や、トレハロースなどの糖類を蓄積して、体内に氷ができないようにしていることも知られています。このような物質を総称してantifreeze substance(不凍物質、抗凍結物質)と呼び、これらの物質はcryoprotectant(凍害防御剤、氷晶形成抑制物質)として様々な実験に用いられています。例えば、精子や卵、植物の生長点などを超低温(液体窒素温度)で長期保存し、生物の遺伝的多様性を保つことを目指す計画などが該当します。
では、植物にはこのようなantifreeze substance物質が存在するのでしょうか?
その答えは、"Yes"です。Antifreeze substanceは、植物にも広く存在していることが知られています。ただ、魚類や昆虫で知られているように全体を凍結しないようにしているわけではありません。例えば、植物を低温で育てるとショ糖やブドウ糖などの糖類やプロリンなどのアミノ酸を蓄積することが知られています。これらの物質の蓄積は、細胞内に溶けている溶質濃度を上昇させ、その結果として、細胞内の水分は凍りにくくなるわけですから、antifreeze substanceの一種であると考えることもできます。さらに、植物は低温という情報を受け取ると、積極的にタンパク質や低分子化合物などの不凍物質を合成することも明らかになってきました。低分子化合物は、-40℃付近まで気温が低下しても氷ができない北方に生きる樹木の木部柔細 胞に多量に蓄積し、蓄積した濃度による氷点降下能力では説明できない程の過冷却能 (言い換えれば、不凍能力)を持つことが知られています。一方、一般に、植物の不凍タンパク質は氷形成を押さえる能力小さく、それだけでは植物の生存可能な凍結温度を説明できないことから、その不凍能力が植物の耐寒性に貢献している度合いは小さいと考えられています。
ところが、不凍タンパク質にはもう一つ異なった能力があるのです。それは、不凍タンパク質が氷の結晶の表面に結合し、氷結晶が大きくなることを防ぐ能力です。事実、不凍タンパク質が存在する条件では、氷の成長速度が遅くなることや、氷結晶があらゆる方向に広がって球状になるのではなく一定の方向に成長する(結果として、六角柱、円盤状、算盤のコマのような形など)ことなどが報告されています。つまり、植物体内を考えると、いったん氷ができてしまっても、その氷が大きくなって細胞や組織に不均一な圧力を与えて生存を脅かすことを防ぐことができるのではないかと考えられています。それを反映するためかどうかは明確ではありませんが、不凍タンパク質の中には細胞外(細胞壁や細胞間隙と呼ばれる部分)に分泌されるものがあることも報告されています。
以上のように、植物には、動物と同じような不凍物質を蓄積するものの、動植物の体制や生存環境の違いから、その物質の働きは異なっているのではないかと考えられます。「不凍=antifreeze:という動物で見つかった現象が、異なった機構である「耐凍=freezing tolerance」を有する植物の世界へ輸入されたことによる混乱が、stmさんのご質問につながったのかもしれません。
理解していただけたでしょうか?もし、まだ説明が不足でわかりにくいことや、もう少し知りたいというようなことがありましたら、いつでもご連絡ください。
上村 松生(岩手大学農学部附属寒冷バイオシステム研究センター)
JSPPサイエンスアドバイザー
今関 英雅
回答日:2007-03-06
今関 英雅
回答日:2007-03-06