一般社団法人 日本植物生理学会 The Japanese Society of Plant Physiologists

植物Q&A

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環境による変化と遺伝

質問者:   教員   Jun
登録番号1565   登録日:2008-03-19
 以前、秋田に旅行し、海岸を散歩していたら、浜に近づくにつれてドングリの樹が小さくなりました。最初は数メートルもあった樹が、まるでデジタル映像をパソコン画面で縮小するように小さくなり、砂浜では膝丈くらいになり、それでも小さいドングリの実がきちんと付いていました!潮風のせいでこうなり、高山性低木と同じ現象かと思います。とすると、この矮性ドングリを普通の土地に挿し木すると、大きな普通の樹にもどりますよね。だが、渓流沿いでは種の違う植物が、水没などのために、同じような細長い流線形の葉をつけ、これを収斂進化というと、ある本で読みました。進化という以上、その植物を普通の土地に移植しても、普通の葉の形には戻りませんよね。同じ環境圧による収斂性を示しながらも、前者は遺伝せず、後者は遺伝子に組み込まれている。この識別はどのようにおこなわれるでしょうか?
 庭先や道端でツル性植物などが、同じような環境変化を示しているのを見て、不思議に思い、質問しました。
Jun様

回答お待たせしました。東京大学大学院理学系研究科教授の塚谷 裕一先生に詳しく解説していただきましたので、お分かり頂けるとおもいます。

ご質問ありがとうございます。
渓流沿い植物の収斂進化のことをお読みになったのは、おそらく私の書いたものでしょうから、その責任上お答えさせていただきます。
まず渓流沿い植物の場合は、水没にさらされているうちに自発的に葉を細くしたのではありません。ふつうの植物を水没させても、葉は細くなりません。渓流沿い植物が細い葉を獲得した背景には、偶然の積み重ねがあったものと考えられます。ふつうの葉を持つ集団の中に、突然変異でたまたま葉が細くなったものが現れたのでしょう。それは本来なら、広い葉を持つ植物と混じって暮らしていくのは、不利な形質です。ですから、多くは絶滅していったのでしょう。しかし、そうした突然変異を持ったタネがたまたま、水没しやすく、ふつうの形の葉では暮らしていけないような土地に落ちたとき、環境とその姿とがマッチし、新天地を獲得した、という筋書きだったと考えられます。ですので、この場合は遺伝ありき、ということになります。
いっぽう、環境による姿の変化(可塑性といいます)は、ご指摘のように環境に応じて自発的に形を変えるものです。こうした可塑性の範囲も、もちろん遺伝に組み込まれているわけです。これは本来、Aという姿(例えば低い背丈)もBという姿(例えば高い背丈)もとることができる、という融通無碍具合を規定するものであって、そのどちらかしか示さない、というものではないわけです。ですから、背の低い椎の木からドングリをとってきて播いても、生える子樹は大きくなったりするわけです。これが可塑性というものですね。
 ところが海岸沿いですとか高山帯、神社仏閣の境内のように、恒常的にストレスにさらされる環境に置かれていますと、長い長い歴史の間には、AにもBにもなれるという可塑性は必要なくなってきます(可塑性を発揮できるような遺伝的な仕組みを維持し続けるのには、かなりコストがかかるという説もあります)。そういうとき、たまたま可塑性を発揮するのに必要な遺伝子が壊れるなどの突然変異が起きれば、二度と大きくなれないものに「進化」してしまうこともあります。
実際オオバコでは、日本各地の神社仏閣で、掃き掃除や草取りのストレス、それに貧栄養な土地という過酷な環境に長年さらされてきた結果、小型化の進化が進んでいます。かれらは肥沃な畑に植え替えてあげても、また草むしりなど全くしなくなっても、小さいまま大きくなることができません。こういう風に固定してしまうこともありますし、ご指摘のように固定しないこともあります。これは、環境に対して自発的に変化する性質は、もともと環境に応じた可塑性ありきであって、突然変異が起きるかどうかは、その次の偶然に左右されるからです。
ですので、多くの事例を集めてみますと、同じ環境ストレスの場合でも、種によってあるいは系統によって、環境を変えれば元に戻れるもの、戻れないもの、少しだけ回復するものなどいろいろなものがあります。
以上のように、渓流沿い植物と環境ストレスによる可塑性とでは、出発点が違うわけです。また出発点が同じであっても、変化が遺伝子に組み込まれるかどうかは、それに突然変異が関わるかそうでないかの違いにもなります。

塚谷 裕一(東京大学大学院理学系研究科教授)
JSPPサイエンスアドバイザー
勝見 允行
回答日:2008-04-04