質問者:
会社員
マル
登録番号1919
登録日:2009-02-22
いつも、皆さんの疑問の多さと、的確でご熱心な回答を楽しく拝見させてい 松葉の形について
ただいております。
その中で、自分の疑問の回答例を探し出すことがなかなかできませんので、
重複するとは思いますが、教えていただきたいと思います。
針葉樹の葉、特に松葉など、一つの葉の面積は非常に小さく、効率の悪
いように思えます。なぜ、長い間に広葉樹のような面積の大きい葉に形を変
化させずにいたのでしょうか。変化する必要のない、利点があったのでしょ
うか。
松、唐松、栂などの針のような葉の形は、枝から、葉へと形態を変化してい
く姿の途中なのでしょうか。
その中でも、ヒノキの葉のようにやや広がりかけ、まとまりかけたように見
える葉もあります。針のような形から、一枚の葉へと変わっていく途中と考
えてよいのでしょうか。
マル さん:
みんなの広場 質問コーナーのご利用ありがとうございます。
ご質問は中央大学の西田治文先生に伺い次のような回答をいただきました。進化を考えるとき、祖先となる系統の形を、現存の系統の形と同じだと想像しがちですがそうではありません。裸子植物と被子植物は共通の祖先をもっていますがその形ははっきりしません。裸子植物はその後も独自の進化を続け1つの系統として針葉樹を生みだし、それが自然に選択されて現在に至っているものです。西田先生の回答をよくお読みになって十分ご理解ください。
【西田先生の回答】
植物は,その生活環境に従って形を変え,生活に適した機能を獲得してゆきます。こうした形や機能の変化をもたらすのは遺伝子ですが,やみくもに遺伝子を変えることはできません。もともと持っている遺伝子情報の範囲で遺伝子に変化が起きるしか方法がないので,変化の可能性は限られています。逆にいえば,ある形をとるようになったものは,とびぬけて変わった形になることはできません。
植物は今から4億7千万年前ごろ陸地に侵出しました。その時の植物には,根,茎,葉の区別がなく,体は針金のような軸が二叉分岐を繰り返す,箒を逆さにしたようなものでした。その後,植物が多様化し,いろいろな系統に分かれた時に,それぞれの系統で葉が別々に作られました。ワラビのようなシダの葉と,裸子植物である針葉樹の葉,被子植物である広葉樹の葉は,それぞれの祖先が別れた時には,それぞれ今の形のもとになるような形を作るようになっていました。つまり,針葉樹は針葉樹のような葉を作る遺伝子の情報をもち,広葉樹でも独自の情報ができあがっていたはずです。ただ,どちらも茎から生ずる光合成のための付属器官という意味での葉として,共通の部分(共通の遺伝子による初期の発生の仕組み)を持っており,針葉樹的な葉,広葉樹的な葉を作る仕組みがその後に進化しています。
針葉樹は,3.7億年前のデボン紀後期に現れた裸子植物のひとつです。裸子植物はその後の石炭紀以降に多くの系統にわかれ,ペルム紀ごろに針葉樹の系統や,被子植物の祖先の系統がすでに分かれたと考えられます。ただ,被子植物の祖先である裸子植物は今も不明です。おそらく祖先となる裸子植物の系統がこの頃わかれたはずということです。針葉樹は中生代三畳紀ぐらいから小さな葉を枝に密生するという形態をとるように進化してきました。一方,被子植物は,最古の記録が中生代白亜紀の最初期なので,実は針葉樹より1億年弱遅れて出現しています。被子植物の葉は,したがって独自に現在のような複雑な網状脈をもつ広葉を進化させています。同じ木でも,別の歴史をたどって葉を作っており,葉を作る遺伝情報も違うので,針葉樹が被子植物のような葉を進化させる可能性はまずないでしょう。
さて,現在の針葉樹でも被子植物でも,葉の形は生育地の環境により,変わります。針葉という形態は,乾燥地や寒冷地での生育に適しています。針葉樹が多様化し繁栄した中生代の初期は,このような環境が多かったこととも関係しているかもしれません。暖地に生育する針葉樹もありますが,上に述べたようにだからといって好きな形の葉を作るようなことはできません。ただ,針葉樹は針葉樹なりにできるだけ有効に光を利用できる樹形や枝の配置を作り上げているはずです。ヒノキなどのように,葉を密生する枝が扁平化して全体がシダの葉のようになるというのは,針葉樹なりに面積の広い光合成器官を作る方法と言えるかもしれません。被子植物でもサボテンのとげは葉ですから,大きな変化ですが,それは被子植物の葉がそれだけの変化をおこす遺伝子と発生の仕組みがあるから可能なのです。花も葉が変形したものであることを考えると,被子植物の葉はとても形態の変化に富んだものであることがわかります。
難しい説明かもしれませんが,葉の進化も含め興味がおありでしたら,下記拙著を図書館などでお探し下さい。
「植物のたどってきた道」 西田治文著 NHKブックス 1998
西田 治文(中央大学理工学部)
みんなの広場 質問コーナーのご利用ありがとうございます。
ご質問は中央大学の西田治文先生に伺い次のような回答をいただきました。進化を考えるとき、祖先となる系統の形を、現存の系統の形と同じだと想像しがちですがそうではありません。裸子植物と被子植物は共通の祖先をもっていますがその形ははっきりしません。裸子植物はその後も独自の進化を続け1つの系統として針葉樹を生みだし、それが自然に選択されて現在に至っているものです。西田先生の回答をよくお読みになって十分ご理解ください。
【西田先生の回答】
植物は,その生活環境に従って形を変え,生活に適した機能を獲得してゆきます。こうした形や機能の変化をもたらすのは遺伝子ですが,やみくもに遺伝子を変えることはできません。もともと持っている遺伝子情報の範囲で遺伝子に変化が起きるしか方法がないので,変化の可能性は限られています。逆にいえば,ある形をとるようになったものは,とびぬけて変わった形になることはできません。
植物は今から4億7千万年前ごろ陸地に侵出しました。その時の植物には,根,茎,葉の区別がなく,体は針金のような軸が二叉分岐を繰り返す,箒を逆さにしたようなものでした。その後,植物が多様化し,いろいろな系統に分かれた時に,それぞれの系統で葉が別々に作られました。ワラビのようなシダの葉と,裸子植物である針葉樹の葉,被子植物である広葉樹の葉は,それぞれの祖先が別れた時には,それぞれ今の形のもとになるような形を作るようになっていました。つまり,針葉樹は針葉樹のような葉を作る遺伝子の情報をもち,広葉樹でも独自の情報ができあがっていたはずです。ただ,どちらも茎から生ずる光合成のための付属器官という意味での葉として,共通の部分(共通の遺伝子による初期の発生の仕組み)を持っており,針葉樹的な葉,広葉樹的な葉を作る仕組みがその後に進化しています。
針葉樹は,3.7億年前のデボン紀後期に現れた裸子植物のひとつです。裸子植物はその後の石炭紀以降に多くの系統にわかれ,ペルム紀ごろに針葉樹の系統や,被子植物の祖先の系統がすでに分かれたと考えられます。ただ,被子植物の祖先である裸子植物は今も不明です。おそらく祖先となる裸子植物の系統がこの頃わかれたはずということです。針葉樹は中生代三畳紀ぐらいから小さな葉を枝に密生するという形態をとるように進化してきました。一方,被子植物は,最古の記録が中生代白亜紀の最初期なので,実は針葉樹より1億年弱遅れて出現しています。被子植物の葉は,したがって独自に現在のような複雑な網状脈をもつ広葉を進化させています。同じ木でも,別の歴史をたどって葉を作っており,葉を作る遺伝情報も違うので,針葉樹が被子植物のような葉を進化させる可能性はまずないでしょう。
さて,現在の針葉樹でも被子植物でも,葉の形は生育地の環境により,変わります。針葉という形態は,乾燥地や寒冷地での生育に適しています。針葉樹が多様化し繁栄した中生代の初期は,このような環境が多かったこととも関係しているかもしれません。暖地に生育する針葉樹もありますが,上に述べたようにだからといって好きな形の葉を作るようなことはできません。ただ,針葉樹は針葉樹なりにできるだけ有効に光を利用できる樹形や枝の配置を作り上げているはずです。ヒノキなどのように,葉を密生する枝が扁平化して全体がシダの葉のようになるというのは,針葉樹なりに面積の広い光合成器官を作る方法と言えるかもしれません。被子植物でもサボテンのとげは葉ですから,大きな変化ですが,それは被子植物の葉がそれだけの変化をおこす遺伝子と発生の仕組みがあるから可能なのです。花も葉が変形したものであることを考えると,被子植物の葉はとても形態の変化に富んだものであることがわかります。
難しい説明かもしれませんが,葉の進化も含め興味がおありでしたら,下記拙著を図書館などでお探し下さい。
「植物のたどってきた道」 西田治文著 NHKブックス 1998
西田 治文(中央大学理工学部)
JSPPサイエンスアドバイザー
今関 英雅
回答日:2009-02-27
今関 英雅
回答日:2009-02-27