一般社団法人 日本植物生理学会 The Japanese Society of Plant Physiologists

植物Q&A

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秋咲きのサクラはヒマラヤザクラの先祖返り?

質問者:   一般   不思議大好きさん
登録番号1927   登録日:2009-02-25
不思議いっぱいの植物観察が大好きで複数の観察会に出かけてしまう主婦です。二つの観察会でのお答えが違うので、困っています。
「ジュウガツザクラは何故秋から咲き始めるのですか?」という質問をしましたら、その回答が講師の先生によって違うので悩んでいます。

 一つは、先祖返り説:日本の秋咲きのサクラはそのルーツであるヒマラヤザクラの先祖返りである。ヒマラヤザクラとの共通点は染色体数が16個である・花が散らずに樹にへばりついてしぼんでいく など

 もう一つは、突然変異説:フユザクラは栽培品種の一つである。ヒマラヤザクラが日本のサクラのルーツである という証拠は無い。

 ええ?日本のサクラは大昔、ネパールから北上してくる過程で厳しい気候を乗り切る手立てとして冬場に休眠するようになった という説が私はロマンがあっていいなあ と思うのですが・・・・・。証拠とはどうすればいいのでしょうか? 
不思議大好きさん

大変お待たせしてしまいました。イネの開花(花芽形成)についての分子遺伝学的研究をなさっておられる奈良先端科学技術大学院大学の島本 功先生より以下のような詳しい回答を頂きました。不思議大好きさんのロマンを壊す結果になってしまいましたが、先祖返り説は新しい学問の進歩に耐えられないものようです。島本先生も仰っておられますように本を読んでも分からない場合には、このコーナーを利用して下さい。最先端の研究をなさっておられる先生方が対応して下さいます。


島本 功先生のご回答:

植物生理学会質問コーナーにお越しくださいましてありがとうございます。お話の先祖返り説は、元東京農業大学教授の染郷正孝先生の唱えられた説で、本も出版されていることから、よく知られているようです。おっしゃられるとおり、この説の根拠になっているのは、

1 春に咲く日本のサクラ(ヤマザクラ、エドヒガンなど)と秋に咲くヒマラヤザクラの染色体の数が同じ(16本)である。

2 両者は交配により雑種を形成できる。

1と2より両者は近縁度が高いと考えられる。そして

3 ヒマラヤザクラの生息するネパールには、春咲きのヒマラヤヒザクラとヒマラヤタカネザクラが生息している。後者2つは高地に生息している。これは、本来秋に咲いていた祖先種が高地の寒さに適応する過程で休眠性を獲得し次の年の春に咲くようになったと考えることができる。日本の桜の祖先が、ネパールから分布域を広げていって日本に生育するようになった過程も同じようなものと推測される。というものです。

ロマンのある魅力的な説なのですが現在では否定的です。というのは、サクラは一般に染色体数は16本ですし、交配による雑種形成もサクラでは近縁度に関係なく普通におきるため、上にあげた根拠の1と2が近縁度を考える指標にならないからです。また、近年になっていろいろな生物の間でそのDNAを比較することで、より厳密に近縁度を調べることができるようになりました。サクラに近い植物のDNAを比較したところ、サクラの祖先に当たるのはウワミズザクラ属に属する植物であると推定されています。このウワミズザクラ属の植物の多くが春咲きなのです。ご質問のジュウガツザクラと突然変異説のところであげられているフユザクラは別種ですが(それぞれジュウガツザクラがエドヒガン系、フユザクラがマメザクラ系の栽培種)、両方とも複数のサクラが交配して冬咲きの形質を獲得したと考えられています。ですから、突然変異ではありませんが、2つめの説の方が現状では正しそうです。

サクラの場合は実験に不利な点(大きさや世代時間など)があるため研究が困難で、まだまだ不明な点が多いのですが、サクラとともに日本人にはなじみの深いイネは主要作物であることと実験室での研究に適した性質を備えていることから研究が進んでいます。現在日本で栽培されているイネの起源については昔から研究されており、いろいろな説がありましたが、これについてもいろいろな種類のイネのDNAを比較した最近の研究結果ではインドネシアがその起源であろうと推定されています。桜の話で出てきたとおり、植物がその分布域を北上させる過程において開花時期を適応させる(寒くなる前に花を咲かせ種を作る)ことは重要です。実際に最近の研究からは、栽培イネがその栽培域を北上させる過程で開花時期を調節している遺伝子に突然変異が生じて開花時期をうまく適応させてきたことを支持する実験結果が報告されています。

現在の植物科学の世界では新たな知見が爆発的に増えています。これまでに出された説が補強されより確かになっていく場合もあれば、否定されて新たな説が出てくる場合もあります。本を読んだり周囲の詳しい方に聞いても分からないような疑問がありましたら、これからも質問コーナーをご活用ください。

以上です。

島本 功(奈良先端科学技術大学院大学)
JSPPサイエンスアドバイザー
柴岡 弘郎
回答日:2009-03-19