質問者:
高校生
植物学者になるぞ!
登録番号2978
登録日:2013-10-25
先日テレビで植物のセルロースからエタノールを作る番組を見ました。セルラーゼという酵素を使って、さとうきびの搾りかすから糖を作るそうです。みんなのひろば
セルロースの構造はどうなっているんですか?
その中で酵素を使う前に爆砕と言って、高温と高圧でセルロースを変化させてしまうらしいです。
そこで気になったんですが、セルロースはミクロフィブリルがリグニンに包まれた鉄筋コンクリートのようなとても安定なものだと授業で聞いたんですが、温度と圧力だけで壊れてしまうんですか?
そもそも、セルロースの安定な構造っていったいどんなものなんですか?
偉いぞ!! 質問コーナーへようこそ。歓迎いたします。回答が大変遅くなってごめんなさい。 先のメールでも伝えましたように、質問には大切な問題も含まれていますので、回答を、植物の細胞壁研究の最先端におられる東北大学大学院理学研究科教授の西谷和彦先生にお願いしました.西谷先生は他の先生にも相して、以下のような大変詳しい分かり易い解説を書いてくださいました。長く待った甲斐があると思います。これに触発されて更に植物の身体に関心を深めて下さい。 立派な植物学者になれるよう研鑽を積まれることを祈っています。
*** 回答 ***
「セルロースの構造」についてのご質問ですが,[質問内容]を拝見したところでは,「セルロース」を「細胞壁」の意味で使っておられます。また,植物学者を目指しておられるとのことですので,細胞壁の重要性を理解して頂くことが重要かと思いまして,すこし長くなりますが,細胞壁一般についてもお答えします。
(維管束植物の細胞壁)
細胞壁の構造は植物の系統により異なるので,ここでは維管束植物に限定します。また同じ植物種でも,細胞壁は,組織の種類や細胞分化の段階によりその構造や働きは大きく異なり,二種類に大別されます。一つは,成長中の細胞が持つ細胞壁で,比較的薄くて,しなやかで,伸びることができます。これを一次細胞壁といいます。もう一つは成長が終わった後に維管束などの特定の組織で作られる厚い細胞壁で,二次細胞壁と言います。いずれも結晶性のセルロース微繊維がマトリックスと呼ばれる非結晶性の成分の中に埋まった構造からなる点は同じですが,マトリックスの成分が両者で大きく異なります。質問者が書いているリグニンは,キシランなどのヘミセルロースと共に二次細胞壁に特徴的なマトリックスの成分です。一方,一次細胞壁はリグニンを含まず,ペクチンやキシログルカンというヘミセルロースがマトリックスの主要成分です。植物細胞壁は地球上のバイオマスの8割程度を占め,その大部分は樹木の二次細胞壁です。バイオマスと言う視点からするとセルロースとリグニン,ヘミセルロースが重要ということになります。一方,一次細胞壁は成長や生理機能の調節因子として働き,特に,その力学的な性質は植物の成長や分化の制御に非常に重要な役割を担っていることが,最近明らかになっています。しかし,その仕組みは殆ど不明です。「植物学者になるぞ!」君には是非,植物学者になってこの難問を解いてくれることを願っています。
(セルロースの結晶構造)
細胞壁の骨格となるセルロース微繊維は千から数千個のグルコースが直線的にグリコシド結合で繋がったβ(1→4)-D-グルカンと呼ばれる細長い分子が,水素結合で整然と並んで束になった棒状の長い結晶です。この結晶は,細胞膜上にある合成酵素により作られ,細胞膜の外に紡(つむぎ)出されます。細胞膜の表面でこうして作られる天然のセルロースの結晶はβ(1→4)-D-グルカン分子が全て同じ方向を向いて並んでいますが,アルカリ液で加工してレーヨンを作る時などには,結晶構造が一度ばらばらになった後,再度結晶化するので,グルカンの向きは不揃いになります。天然の結晶をセルロースI,再生した結晶をセルロースIIと呼び区別します。
天然のセルロースIは,三斜晶という結晶構造を持つセルロースIαと,単斜晶の構造を持つセルロースIβという,二つの状態が可能です。両者の結晶構造の違いを模式的に図1に示しています。一つの細胞壁中には二種類の構造が混ざっていますが,維管束植物ではセルロースIβの比率が圧倒的に高く,逆に海洋性の藻類などではセルロースIαの比率が高く,これが陸上植物と海洋性藻類の細胞壁の力学的強度の違いに関係があると推定されています。
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三斜晶 (セルロースIα) 単斜晶 (セルロースIβ)
G:グルコース残基 -:グルコシド結合
図1
(セルロースの分解・利用法)
セルロース微繊維の結晶構造の内部には水分子や酵素は浸透できないため,通常のβ(1→4)-D-グルカン分解酵素ではセルロース微繊維は分解されず,化学反応という点でも安定です。セルロース分解性の微生物(細菌類やカビ,キノコなどの真菌類)が持つある種の酵素類が,辛うじてセルロース微繊維の表面に露出しているβ(1→4)-D-グルカン分子を一本ずつ分解していくことができます。そのような理由からバイオマス中のセルロースをグルコースに分解するには,専ら,この特殊な酵素が使われます。しかし,その分解のためには,もう一つクリアしなければならない点があります。始めに書いた通り,細胞壁の中でセルロース微繊維はマトリックスに被われていて,そのままでは,セルロース分解酵素はセルロースの表面に作用することができません。そこで,セルロース微繊維を分解する前に,マトリックスを除去する前処理が必要となるのですが,マトリックスの成分が細胞壁の種類により異なるので,なかなかやっかいです。
(マトリックスを除去する理由)
一次細胞壁のマトリックスの大部分は多糖類で,多くは通常の酵素で比較的簡単に分解できますが,二次細胞壁に大量に含まれるリグニンを分解するためには,キノコの仲間がもつ特殊なリグニン分解酵素が必要です。これらの酵素類は非常に高価で,この酵素の使用量を減らすためにいろいろな工夫が考えられています。質問者がテレビで見たのもその一つかと思います。私はそのテレビ番組を見ていないので詳細は分かりませんし,バイオマスの専門家でもありませんので,これについては,知り合いのバイオマス専門家である東京大学の五十嵐圭日子先生に訊いてみました。そうしたところ,ご質問の「爆砕処理」というのは,高温高圧にして,そこから圧を急激に下げる方法のことではないかとのことでした。バイオマス(細胞壁)が水を含んだ状態でそのような処理を受けると,細胞壁中の水分が急激に膨張し細胞壁が機械的に破裂されるのと同時に,高温水によってセルロース微繊維を被っているマトリックス多糖が部分的に加水分解を受けます。セルロース微繊維そのものは,力学的に十分強靱ですので,質問者が予測した通り,それほど分解されないのですが,マトリックスや細胞壁全体の構造が分解されることで,セルロース微繊維表面に露出している面積が増えます。これによりセルロースの表面へセルロース分解酵素が近寄りやすくなり,分解効率が上がると考えられます。
(植物細胞壁の働き一般について)
最後に,セルロースは力学的には非常に強靱ですが,それは引っ張り強度が大きいということで,鉄筋コンクリートのように堅く脆(もろ)いわけでなく,しなやかさを兼ね備えた強さといえます。木本,草本を問わず,また一次細胞壁,二次細胞壁を問わず,細胞壁はカミソリで薄くそぎ落とせるほどに柔らかいものです。また雪折れしない柳の枝のようにしなやかです。それにも拘わらず,植物は細胞壁を積み上げて100mの高さの樹木を作る仕組みを進化させてきたわけです。また,一次細胞壁は,植物の細胞分化や細胞成長の制御に直接関わる重要な細胞装置です。それ以外にも細胞壁は外界との接点として,隣の細胞との情報のやりとりや,外敵に対する防御,共生生物との相互作用,維管束に代表されるような水や養分の循環,などなど,いろいろな機能を担っています。植物の働きを理解するには細胞壁の理解は不可欠です。
植物学者を目指しておられる高校2年の質問者が「細胞壁」のこのような機能に気づいた上で今回の質問をしてくれたのであれば,その科学的なセンスの良さには驚くばかりです。是非,植物学者となり,植物科学の分野で活躍されることを祈ります。
(推奨文献とウェブページ)
植物細胞壁は今,植物科学の中の注目されている研究分野の一つです。細胞壁分野での研究者を目指す若い方々を念頭において私たちが書いた解説記事とウェブサイトを紹介しておきます。興味があれば是非ご覧ください。
・ 生物の科学「遺伝」66巻(2012年1月号)特集「植物細胞壁研究の新局面」
・ 「植物細胞壁」(西谷和彦、梅澤俊明編)2013 講談社
・ 新学術領域研究プロジェクト「植物細胞壁の情報処理システム」
http://www.plantcellwall.jp/
・ 日本植物生理学会 みんなのひろば 解説・エッセイ「細胞壁」
http://www.jspp.org/17hiroba/kaisetsu/index.html
西谷 和彦(東北大学)
*** 回答 ***
「セルロースの構造」についてのご質問ですが,[質問内容]を拝見したところでは,「セルロース」を「細胞壁」の意味で使っておられます。また,植物学者を目指しておられるとのことですので,細胞壁の重要性を理解して頂くことが重要かと思いまして,すこし長くなりますが,細胞壁一般についてもお答えします。
(維管束植物の細胞壁)
細胞壁の構造は植物の系統により異なるので,ここでは維管束植物に限定します。また同じ植物種でも,細胞壁は,組織の種類や細胞分化の段階によりその構造や働きは大きく異なり,二種類に大別されます。一つは,成長中の細胞が持つ細胞壁で,比較的薄くて,しなやかで,伸びることができます。これを一次細胞壁といいます。もう一つは成長が終わった後に維管束などの特定の組織で作られる厚い細胞壁で,二次細胞壁と言います。いずれも結晶性のセルロース微繊維がマトリックスと呼ばれる非結晶性の成分の中に埋まった構造からなる点は同じですが,マトリックスの成分が両者で大きく異なります。質問者が書いているリグニンは,キシランなどのヘミセルロースと共に二次細胞壁に特徴的なマトリックスの成分です。一方,一次細胞壁はリグニンを含まず,ペクチンやキシログルカンというヘミセルロースがマトリックスの主要成分です。植物細胞壁は地球上のバイオマスの8割程度を占め,その大部分は樹木の二次細胞壁です。バイオマスと言う視点からするとセルロースとリグニン,ヘミセルロースが重要ということになります。一方,一次細胞壁は成長や生理機能の調節因子として働き,特に,その力学的な性質は植物の成長や分化の制御に非常に重要な役割を担っていることが,最近明らかになっています。しかし,その仕組みは殆ど不明です。「植物学者になるぞ!」君には是非,植物学者になってこの難問を解いてくれることを願っています。
(セルロースの結晶構造)
細胞壁の骨格となるセルロース微繊維は千から数千個のグルコースが直線的にグリコシド結合で繋がったβ(1→4)-D-グルカンと呼ばれる細長い分子が,水素結合で整然と並んで束になった棒状の長い結晶です。この結晶は,細胞膜上にある合成酵素により作られ,細胞膜の外に紡(つむぎ)出されます。細胞膜の表面でこうして作られる天然のセルロースの結晶はβ(1→4)-D-グルカン分子が全て同じ方向を向いて並んでいますが,アルカリ液で加工してレーヨンを作る時などには,結晶構造が一度ばらばらになった後,再度結晶化するので,グルカンの向きは不揃いになります。天然の結晶をセルロースI,再生した結晶をセルロースIIと呼び区別します。
天然のセルロースIは,三斜晶という結晶構造を持つセルロースIαと,単斜晶の構造を持つセルロースIβという,二つの状態が可能です。両者の結晶構造の違いを模式的に図1に示しています。一つの細胞壁中には二種類の構造が混ざっていますが,維管束植物ではセルロースIβの比率が圧倒的に高く,逆に海洋性の藻類などではセルロースIαの比率が高く,これが陸上植物と海洋性藻類の細胞壁の力学的強度の違いに関係があると推定されています。
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三斜晶 (セルロースIα) 単斜晶 (セルロースIβ)
G:グルコース残基 -:グルコシド結合
図1
(セルロースの分解・利用法)
セルロース微繊維の結晶構造の内部には水分子や酵素は浸透できないため,通常のβ(1→4)-D-グルカン分解酵素ではセルロース微繊維は分解されず,化学反応という点でも安定です。セルロース分解性の微生物(細菌類やカビ,キノコなどの真菌類)が持つある種の酵素類が,辛うじてセルロース微繊維の表面に露出しているβ(1→4)-D-グルカン分子を一本ずつ分解していくことができます。そのような理由からバイオマス中のセルロースをグルコースに分解するには,専ら,この特殊な酵素が使われます。しかし,その分解のためには,もう一つクリアしなければならない点があります。始めに書いた通り,細胞壁の中でセルロース微繊維はマトリックスに被われていて,そのままでは,セルロース分解酵素はセルロースの表面に作用することができません。そこで,セルロース微繊維を分解する前に,マトリックスを除去する前処理が必要となるのですが,マトリックスの成分が細胞壁の種類により異なるので,なかなかやっかいです。
(マトリックスを除去する理由)
一次細胞壁のマトリックスの大部分は多糖類で,多くは通常の酵素で比較的簡単に分解できますが,二次細胞壁に大量に含まれるリグニンを分解するためには,キノコの仲間がもつ特殊なリグニン分解酵素が必要です。これらの酵素類は非常に高価で,この酵素の使用量を減らすためにいろいろな工夫が考えられています。質問者がテレビで見たのもその一つかと思います。私はそのテレビ番組を見ていないので詳細は分かりませんし,バイオマスの専門家でもありませんので,これについては,知り合いのバイオマス専門家である東京大学の五十嵐圭日子先生に訊いてみました。そうしたところ,ご質問の「爆砕処理」というのは,高温高圧にして,そこから圧を急激に下げる方法のことではないかとのことでした。バイオマス(細胞壁)が水を含んだ状態でそのような処理を受けると,細胞壁中の水分が急激に膨張し細胞壁が機械的に破裂されるのと同時に,高温水によってセルロース微繊維を被っているマトリックス多糖が部分的に加水分解を受けます。セルロース微繊維そのものは,力学的に十分強靱ですので,質問者が予測した通り,それほど分解されないのですが,マトリックスや細胞壁全体の構造が分解されることで,セルロース微繊維表面に露出している面積が増えます。これによりセルロースの表面へセルロース分解酵素が近寄りやすくなり,分解効率が上がると考えられます。
(植物細胞壁の働き一般について)
最後に,セルロースは力学的には非常に強靱ですが,それは引っ張り強度が大きいということで,鉄筋コンクリートのように堅く脆(もろ)いわけでなく,しなやかさを兼ね備えた強さといえます。木本,草本を問わず,また一次細胞壁,二次細胞壁を問わず,細胞壁はカミソリで薄くそぎ落とせるほどに柔らかいものです。また雪折れしない柳の枝のようにしなやかです。それにも拘わらず,植物は細胞壁を積み上げて100mの高さの樹木を作る仕組みを進化させてきたわけです。また,一次細胞壁は,植物の細胞分化や細胞成長の制御に直接関わる重要な細胞装置です。それ以外にも細胞壁は外界との接点として,隣の細胞との情報のやりとりや,外敵に対する防御,共生生物との相互作用,維管束に代表されるような水や養分の循環,などなど,いろいろな機能を担っています。植物の働きを理解するには細胞壁の理解は不可欠です。
植物学者を目指しておられる高校2年の質問者が「細胞壁」のこのような機能に気づいた上で今回の質問をしてくれたのであれば,その科学的なセンスの良さには驚くばかりです。是非,植物学者となり,植物科学の分野で活躍されることを祈ります。
(推奨文献とウェブページ)
植物細胞壁は今,植物科学の中の注目されている研究分野の一つです。細胞壁分野での研究者を目指す若い方々を念頭において私たちが書いた解説記事とウェブサイトを紹介しておきます。興味があれば是非ご覧ください。
・ 生物の科学「遺伝」66巻(2012年1月号)特集「植物細胞壁研究の新局面」
・ 「植物細胞壁」(西谷和彦、梅澤俊明編)2013 講談社
・ 新学術領域研究プロジェクト「植物細胞壁の情報処理システム」
http://www.plantcellwall.jp/
・ 日本植物生理学会 みんなのひろば 解説・エッセイ「細胞壁」
http://www.jspp.org/17hiroba/kaisetsu/index.html
西谷 和彦(東北大学)
JSPP サイエンス・アドヴァイザー
勝見 允行
回答日:2013-12-13
勝見 允行
回答日:2013-12-13