質問者:
教員
澄川 章子
登録番号3044
登録日:2014-04-17
チューリップの葉の一部が、花弁に変化しているのを見つけました。葉の根元あたりから、半分が明らかに花弁に変化しています。切り取ってくっつけたように見えるキメラ状なので、その部分から先の遺伝子が変化しているのだろうと思いました。葉から花弁へ
生物の授業の中でABCモデルについては扱っています。
また、実際に花の中で、雄ずいが花弁化したり、がくが花弁化したものは見たことがあります。
葉から花に変化しているのは初めて見たので、遺伝子的にどのような原因でこうなるのか知りたいです。
澄川章子様
ご質問いただき、どうも有難うございました。
京都大学大学院生命科学研究科の荒木崇先生に御回答頂きました。
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生物を教えながら、日ごろ身のまわりの生き物にも注意を向けていらっしゃる様子を想像いたします。
ご質問の件ですが、まず、同じようなケースがないか調べてみました。
インターネットで探してみると、花の下の茎に、一部が花被片(チューリップの場合には、萼片と花弁の形態的な区別がないので、両方をまとめてこのように呼びます)に変化した葉のような構造が生じたチューリップに関する画像入りの記事がいくつか見つかりました。いずれも、ほぼ半分ほどが花被片様に色付いており、残る半分は葉のように見えます。
古く遡ると、『植物のメタモルフォーゼ試論』(1790年)を著し、花を構成する諸器官は葉が変形(メタモルフォーゼ)したものであるという見方を広めたヨハン・ヴォルフガング・ゲーテもそのようなチューリップの水彩画を残しており、それを基に銅版画(水彩画とは左右が反転しています)も作成させています。『植物のメタモルフォーゼ試論』の第44節では、葉が萼片という状態を跳び越えて花弁の状態に近づいてしまった例として、自身が観察し、描いたチューリップの例を挙げています。ゲーテは、自説を支持する観察例のひとつとして注目し、これをとりあげたことがうかがえます。
『植物のメタモルフォーゼ試論』は、ちくま学芸文庫の『ゲーテ形態学論集 植物篇』(木村直司 編訳)に収められており、チューリップの水彩画もモノクロで再録されています。
澄川さんが見つけられたのは、記述からすると、そうした例と同様のものと思います。
私自身、調べてみて、ゲーテの水彩画の例を含めて、予想した以上に頻繁に報告されていることに少し驚きました。
このような例が生じる「遺伝子的な原因」を断定的に説明することは難しいですが、2つの点から回答したいと思います。
(1)葉から花の器官への転換は容易ではない
澄川さんも書かれていますが、花を構成する器官の間の転換、例えば、雄ずい(雄しべ)から花弁への転換や、花の器官の葉状化は頻繁に見られる現象で、ゲーテの説や高校の生物学でも教えられるABCモデルのもとになりました。
ABCモデルが提唱された後、シロイヌナズナの実験で、A機能、B機能、C機能に対応する3種類の遺伝子を全て欠損させると花の全ての器官が葉に転換することが明快に示されました。これは、花を構成する諸器官は葉が変形したものであることを極めて雄弁に支持する画期的な実験でした。
しかし、逆の実験、例えば「葉でA機能とB機能に対応するを発現させることで葉を花弁化する」というような実験はなかなかうまくいきませんでした。
つまり、花弁でA機能とB機能の遺伝子の働きが損なわれれば葉への転換が起こりますが、葉でA機能とB機能の遺伝子を働かせても花弁への転換は起こらないことがわかったのです。このことから、花においては、葉では働いていない、A機能、B機能、C機能とは別の遺伝子が存在し、A機能、B機能、C機能の遺伝子の働きを助けていることが予想されました。そして、SEPALLATA (SEP) と名付けられた遺伝子がそのような遺伝子に当たることが、京都大学(当時)の後藤弘爾博士の研究グループなどによって示されました。実際、葉において、AP1(A機能)、AP3とPI(B機能)、SEP2とSEP3の合計5種類(!)の遺伝子を働かせると、葉は完全な花弁に転換 することが示されています。
それぞれの遺伝子から転写・翻訳されてで きるタンパク質が複合体を形成し、この複合体が花弁の形成に関わる遺 伝子の転写を調節すると考えられます。
このように、葉を花弁化することは実験的には可能ですが、容易ではありません。葉の細胞で特定の数種類の遺伝子のスイッチが間違ってオンになってしまい、正しい複合体がつくられることはかなり起こりにくいからです。チューリップの例は、極めて稀なものではなく割と頻繁に見つかるもののようですから、私は葉の花被片化ではないように思います。
(2)チューリップの例は花被片から葉(あるいは萼片)への転換ではないか?
インターネット上に出ているいくつかの例の写真やゲーテの水彩画をもう一度見てみると、いずれの場合も、通常は葉を生じない茎の高い位置に問題の「花被片/葉」が生じています。このことと(1)を合わせて考えると、私は、花被片の一部が、葉ないしは(チューリップにはない)萼片の状態に転換したのではないか?と推察します。B機能に当たる遺伝子の発現の変化のみでも生じうる可能性がある転換だからです。
それでもいくつかの疑問が残ります。
ひとつ目は、花被片の一部が葉に転換したものであるとすれば、正常な花被片の数が減っている(一重咲きの場合なら5枚になる)ことが予想されますが、インターネット上で画像が見られる例では必ずしもそうなっていません。一方、ゲーテの水彩画の例はそうなっているように見えます。
2つ目は、インターネット上で画像が見られる例では「花被片/葉」の付いている位置が他の花被片の付く位置よりも下になっていますが、なぜそうなるのかが説明できません。ゲーテが描いた例では、花被片様の部分が付く位置と葉状の部分の付く位置が上下にずれ、付け根側が2つの部分に引き裂かれています。あたかも葉状の部分は下に留まり、花被片様の部分は他の花被片の方に行こうとしているかのようです。これは説明がさらに難しいです。
このように、花被片の一部が、葉ないしは(チューリップにはない)萼片の状態に転換したのではないか、という私の見方にも難があります。
答えよりも疑問の方が多い回答になってしまいましたが、易しい問題ではないことがお伝えできたのではないかと思います。
荒木 崇(京都大学大学院生命科学研究科)
ご質問いただき、どうも有難うございました。
京都大学大学院生命科学研究科の荒木崇先生に御回答頂きました。
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生物を教えながら、日ごろ身のまわりの生き物にも注意を向けていらっしゃる様子を想像いたします。
ご質問の件ですが、まず、同じようなケースがないか調べてみました。
インターネットで探してみると、花の下の茎に、一部が花被片(チューリップの場合には、萼片と花弁の形態的な区別がないので、両方をまとめてこのように呼びます)に変化した葉のような構造が生じたチューリップに関する画像入りの記事がいくつか見つかりました。いずれも、ほぼ半分ほどが花被片様に色付いており、残る半分は葉のように見えます。
古く遡ると、『植物のメタモルフォーゼ試論』(1790年)を著し、花を構成する諸器官は葉が変形(メタモルフォーゼ)したものであるという見方を広めたヨハン・ヴォルフガング・ゲーテもそのようなチューリップの水彩画を残しており、それを基に銅版画(水彩画とは左右が反転しています)も作成させています。『植物のメタモルフォーゼ試論』の第44節では、葉が萼片という状態を跳び越えて花弁の状態に近づいてしまった例として、自身が観察し、描いたチューリップの例を挙げています。ゲーテは、自説を支持する観察例のひとつとして注目し、これをとりあげたことがうかがえます。
『植物のメタモルフォーゼ試論』は、ちくま学芸文庫の『ゲーテ形態学論集 植物篇』(木村直司 編訳)に収められており、チューリップの水彩画もモノクロで再録されています。
澄川さんが見つけられたのは、記述からすると、そうした例と同様のものと思います。
私自身、調べてみて、ゲーテの水彩画の例を含めて、予想した以上に頻繁に報告されていることに少し驚きました。
このような例が生じる「遺伝子的な原因」を断定的に説明することは難しいですが、2つの点から回答したいと思います。
(1)葉から花の器官への転換は容易ではない
澄川さんも書かれていますが、花を構成する器官の間の転換、例えば、雄ずい(雄しべ)から花弁への転換や、花の器官の葉状化は頻繁に見られる現象で、ゲーテの説や高校の生物学でも教えられるABCモデルのもとになりました。
ABCモデルが提唱された後、シロイヌナズナの実験で、A機能、B機能、C機能に対応する3種類の遺伝子を全て欠損させると花の全ての器官が葉に転換することが明快に示されました。これは、花を構成する諸器官は葉が変形したものであることを極めて雄弁に支持する画期的な実験でした。
しかし、逆の実験、例えば「葉でA機能とB機能に対応するを発現させることで葉を花弁化する」というような実験はなかなかうまくいきませんでした。
つまり、花弁でA機能とB機能の遺伝子の働きが損なわれれば葉への転換が起こりますが、葉でA機能とB機能の遺伝子を働かせても花弁への転換は起こらないことがわかったのです。このことから、花においては、葉では働いていない、A機能、B機能、C機能とは別の遺伝子が存在し、A機能、B機能、C機能の遺伝子の働きを助けていることが予想されました。そして、SEPALLATA (SEP) と名付けられた遺伝子がそのような遺伝子に当たることが、京都大学(当時)の後藤弘爾博士の研究グループなどによって示されました。実際、葉において、AP1(A機能)、AP3とPI(B機能)、SEP2とSEP3の合計5種類(!)の遺伝子を働かせると、葉は完全な花弁に転換 することが示されています。
それぞれの遺伝子から転写・翻訳されてで きるタンパク質が複合体を形成し、この複合体が花弁の形成に関わる遺 伝子の転写を調節すると考えられます。
このように、葉を花弁化することは実験的には可能ですが、容易ではありません。葉の細胞で特定の数種類の遺伝子のスイッチが間違ってオンになってしまい、正しい複合体がつくられることはかなり起こりにくいからです。チューリップの例は、極めて稀なものではなく割と頻繁に見つかるもののようですから、私は葉の花被片化ではないように思います。
(2)チューリップの例は花被片から葉(あるいは萼片)への転換ではないか?
インターネット上に出ているいくつかの例の写真やゲーテの水彩画をもう一度見てみると、いずれの場合も、通常は葉を生じない茎の高い位置に問題の「花被片/葉」が生じています。このことと(1)を合わせて考えると、私は、花被片の一部が、葉ないしは(チューリップにはない)萼片の状態に転換したのではないか?と推察します。B機能に当たる遺伝子の発現の変化のみでも生じうる可能性がある転換だからです。
それでもいくつかの疑問が残ります。
ひとつ目は、花被片の一部が葉に転換したものであるとすれば、正常な花被片の数が減っている(一重咲きの場合なら5枚になる)ことが予想されますが、インターネット上で画像が見られる例では必ずしもそうなっていません。一方、ゲーテの水彩画の例はそうなっているように見えます。
2つ目は、インターネット上で画像が見られる例では「花被片/葉」の付いている位置が他の花被片の付く位置よりも下になっていますが、なぜそうなるのかが説明できません。ゲーテが描いた例では、花被片様の部分が付く位置と葉状の部分の付く位置が上下にずれ、付け根側が2つの部分に引き裂かれています。あたかも葉状の部分は下に留まり、花被片様の部分は他の花被片の方に行こうとしているかのようです。これは説明がさらに難しいです。
このように、花被片の一部が、葉ないしは(チューリップにはない)萼片の状態に転換したのではないか、という私の見方にも難があります。
答えよりも疑問の方が多い回答になってしまいましたが、易しい問題ではないことがお伝えできたのではないかと思います。
荒木 崇(京都大学大学院生命科学研究科)
JSPP広報委員長
松永 幸大
回答日:2014-05-09
松永 幸大
回答日:2014-05-09