一般社団法人 日本植物生理学会 The Japanese Society of Plant Physiologists

植物Q&A

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植物の香り成分と蝶の食草

質問者:   一般   及川武久
登録番号3268   登録日:2015-05-05
蝶類の幼虫は、その種特有の植物を食べて、成虫になります。よく知られているように、モンシロチョウはキャベツのようなアブラナ科植物を食べ、アゲハチョウはミカン科の植物を食べて、成虫になります。このように蝶の食草と植物種の関係は決まっております。親の蝶が幼虫の食べる植物種から発せられる香りを識別して、そこに卵を産み付けることが知られております。しかし、シダ植物や裸子植物を食べる蝶は一種もありません。このことはシダ植物や裸子植物の成分に被子植物のある種の香り成分が欠けているために、食草になっていないのではないかと予想するのですが・・・。シダ植物や裸子植物に欠ける成分香り成分とは何か、ご教示を頂きたいのですが。
及川武久さま

長い間お待たせ致しました。回答をお願いした小関さんから小関さんの教え子の松葉さん、また松葉さんの先生のEranさんを介して以下のような詳しいご回答が寄せられました。私も勉強させて頂きましたが、及川武久さまにもご参考になるのではないかと思います。
また、吉川 寛さんからも回答をいただきましたので、合わせてご参考になさってください。

【小関先生・松葉先生からのご回答】
ご質問の植物における香り成分について、回答者として指名されました東京農工大学の小関良宏ですが、私自身、花の色素の研究を主として行なっており、香りの研究が専門ではないため、私の研究室で博士号を取得され、現在、アメリカのミシガン大学で植物の香りの研究の世界の第一人者である Eran Pichersky 教授の研究室に留学されている松葉由紀さんとともにお答えさせていただきます。
 植物の香り成分の多くは害虫などの捕食者にとって忌避物質であると考えられています。植物の香り成分として代表的なのがテルペノイドであり、これは炭素が 5 つの基本ユニット (C4-C1 のイソプレン単位と言います) が 2 つ(モノテルペン)、3 つ(セスキテルペン)、4 つ(ジテルペン)、6 つ(トリテルペン)、8 つ(テトラテルペン)と結合したもので、さらにそれ以上の数のユニットが結合したものはポリテルペンと呼ばれます。このうち、ユニット数の少ないものは揮発性があり、これが多くの植物において香り成分となっています。4 つ結合したジテルペンの多くおよび 6 つ以上結合したものは分子量が大きく揮発性はなく、しかしインドセンダンが合成するトリテルペンの 1 種であるアザジラクチンは 50 pb で害虫からの摂食阻害効果を示す史上最強の天然殺虫化合物であり、ニームオイルとして使われています。また、トリテルペンは虫に対する毒性だけではなく、人を含む動物に対する毒性を示す化合物が多種類あり、動物からの摂食阻害効果として役立っています。その中には匙加減をきちんと守ることで、毒としてではなく、人にとっての薬となる化合物もあります。さらにこのユニットが非常に長く結合したものの代表が天然ゴムとなります。
 森林浴で感じられる裸子植物に属するマツやヒノキの香りの多くは樹木が合成するこの揮発性テルペン類であるα-ピネンなどを代表とするモノテルペンによるものです。この化合物は害虫にとっての忌避物質となっており、キクイムシに対する毒性があることから、樹木はこのような害虫からの摂食から身を守っています。また昔の人はこのことを知っていて、クスノキから樟脳を取ってタンスの虫除けに使っていましたが、これはカンファーというモノテルペンを主成分としたものです。さらに蚊取り線香として使われて昔から使われている除虫菊の有効成分はモノテルペンの一種であるピレスロイドであり、このことからもモノテルペンの虫除け効果は理解できると思います。両者の特徴は昆虫には摂食阻害効果および高い毒性があるのに対し、人を含む哺乳類や鳥類には毒性が非常に弱いことです(ただし、ピレスロイドは喘息の方には発作を引き起こす危険性があります)。
 しかしこのようなテルペン類はすべての虫に対する摂食阻害効果があるかというと、それをものともせずに平気で食べる虫もいます。ヤナギタデが含む苦み成分でもあるタデオナール(人にとっては蓼酢の独特の苦みの成分となります)はセスキテルペンの一種であり、多くの昆虫はこれを忌避して食べないのですが、悪食暴食とも言える畑の害虫の代表格であるヨトウムシは平気でこの葉を食べて穴だらけにしてしまいます。昔の人はこれをきちんと観察していて「蓼喰う虫も好きずき」という諺が生まれたのだと思います。
 テルペン類の特徴として 1 つの植物種の中に多種類の構造が異なったテルペン化合物が合成されて蓄積されていることです。これは 1 つの植物種内において、基本ユニットの数が異なった数のテルペンが合成されていること、さらにそれが環状化反応を受けたり、水酸化やメチル化などされたり、さらに他の有機酸が結合するなど、様々に修飾されるため、1 つの植物種においてその分子種は非常に多岐にわたっています。例えばクスノキは上記のように基本ユニット 2 つからなる揮発性のモノテルペンであるカンファーを合成するとともに、基本ユニット 4 つからなる α-カンファレンというジテルペンを合成しています。さらに多様な修飾された分子種が存在している例として、バラの花の良い香りであるローズオイルを採るダマスクローズでは、基本ユニットとなる分子はモノテルペンとセスキテルペンなのですが、これが様々な化学的修飾を受けて 50 種類以上の揮発性化合物が合成され、その全体の混合物として、人が好ましく感じる香りを発散しています。この 1 つの植物種が多種類の化合物を合成していることが植物におけるテルペン類の大きな特徴になっています。
 さてご質問のシダや裸子植物の香り成分なのですが、これらもテルペン類を合成します。コケ(シダレヤスデゴケ、ジャゴケ)でもセスキテルペンを合成しており、香り成分となっております。またハワイのレイに使われるシダ植物であるラウアエ(オキナワウラボシ)は良い香りを発し、これもテルペン類を主成分とする芳香です。
 この他にも被子植物の香り成分として、ベンゼン環を有する芳香族低分子化合物があり、これにはたとえば月桂樹が合成するオイゲノールがあります。市販のカーネーションはほとんど香りがないのですが、カーネーションが属するナデシコ属の野生種においてはテルペン類とともに安息香酸メチルなど芳香族低分子化合物を合成するため良い香りがあり、これを園芸品種のカーネーションに導入する試みが行なわれています。またその他の香り成分として身近なのが芥子油配糖体(グルコシノレート)という化合物です。ご質問の中にありますキャベツを始め、ワサビやカラシナなどが発する香りはこの化合物によります。芥子油配糖体は昆虫に対する摂食阻害化合物である一方、ナタネに含まれるものは人にとっても毒性があり甲状腺腫瘍を引き起こす化合物として知られています。そこでナタネ油を食用油とするために、人にとって有害な芥子油配糖体の一種を合成しないナタネが品種改良によって産み出され、カノーラ種と命名されました(さらにナタネにはもう 1 つの有害物質として心臓障害を引き起こす脂肪酸の一種であるエルシン酸が含まれているので、この含量も低い品種でもありました)。しかし、初代のカノーラ種を試験的に畑で栽培したところ、見事に害虫に喰われて、ほとんど全滅状態になってしまったということです。このことからも芥子油配糖体は害虫からの摂食を非常に強く抑止していることがわかります。そこでさらに品種改良が行なわれ、次世代のカノーラ種として、葉などにおける芥子油配糖体の蓄積量は野生型のものと変わらずに害虫の摂食を防ぐ、しかし油を採る種子においてはその合成蓄積量が非常に低い品種が開発され、これによって人の健康に被害を与えないカノーラ油が得られるようになりました。ご質問の中にありますキャベツにおいても別種の芥子油配糖体が合成されているため、多くの害虫が忌避します。しかしモンシロチョウにとっては、この芥子油配糖体の香りが誘因物質となっていて、この香りに誘引されてモンシロチョウは飛来して葉に卵を産みつけます。その卵から孵ったアオムシは芥子油配糖体を毒とせず平気でこれを食べ、他の虫が食べにこないキャベツを独り占めして食べることができるので、他の虫との食べ物の取り合いをしないですみ、有利になります。しかし、虫によっては何でも食べる強欲なものもいて、ヨトウムシの幼虫は平気でキャベツをむさぼります。なお芥子油配糖体は主にアブラナ科植物が合成蓄積しており、シダ植物や裸子植物は合成していません。同様にもう 1 つ代表的な植物の香り成分であるアーモンド、モモや梅の香りである青酸配糖体があり、こちらはシダ植物を含む多くの植物種が合成蓄積しています。芥子油配糖体および青酸配糖体ともに窒素分子を含むことから含窒素化合物と呼ばれ、いずれもアミノ酸を出発材料として植物内で合成され、その多くは動物に対する毒として摂食阻害効果があります。
 このように被子植物においては多様な植物種が地上に生存しており、それらが様々な香り成分を合成し、あるものは昆虫に対する摂食抑止効果を示して昆虫を近寄らせない一方、別の香りは逆に受粉者としての昆虫を誘因するものがあり、ある植物はその植物種にとっての益虫となる虫を呼び寄せることでその植物種と昆虫とが進化してきたと考えられています。これを共進化と呼びます。さて、ご質問の件につき、松葉さんが Eran Pichersky 教授にご意見を伺って下さったところ、裸子植物の葉も害虫によって食べられており、それを忌避するために上述のようにテルペン類を合成していること、一方で裸子植物においても特定の昆虫を誘因する例が知られており、その一例としてソテツがあることをお教えいただきました。すなわち裸子植物においても共進化は起きているとのことです。しかし裸子植物の葉を好んで食べに来る昆虫が少ないのは、そもそも被子植物の方が圧倒的に種が多いために昆虫が好んで食べる「美味しい」植物種が目立つこと、さらに前段でお話ししましたように、様々な昆虫種と被子植物種が多様な共進化の形で観察されるので目立って見えているが、前述のように裸子植物においても昆虫との共進化は起きているのだけれども、裸子植物の種数が少ないので目立たないというのが本当のところであろう、というのが Eran 先生のご意見です。
 また Eran 先生のお話ですと、一つ一つの植物種同士で被子植物と裸子植物を比較したら、合成するテルペンの種類の数はそれほど変わらないのではないか?ということです。モノテルペンおよびセスキテルペン合成酵素は、一種類のモノテルペンもしくはセスキテルペンを合成するものもありますが、多くの酵素は、数種類のテルペン化合物を同時に合成します。1 つの酵素が 10 種類くらいの異なるテルペンを合成するものも少なくありません。このため上記のようにバラにおいてはセスキテルペンが 50 種類以上合成されているのですが、裸子植物においても多種多様な分子種な構造を有するテルペン類が合成されて、被子植物と同様に複雑な混合物となって香りを醸し出していると考えられるとのことです。香料とされるアロマオイルは被子植物由来のものばかりのように思われるのですが、裸子植物であるヒノキからはアロマオイルとしてジュニパーが古くから作られて香水やジンの香り付けとして使われており、そこにはやはり多種多様なテルペン分子種が含まれていると考えられます。

 また、シダ植物が合成しているテルペン類においても、同様なことが当てはまるのであろうと思います。シダ植物も害虫や動物に食されます。その摂食を抑止するために、様々な毒性物質を合成して蓄積しています。上記のシダ植物であるラウアエのように人にとっては良い香りであったとしても、害虫には摂食抑止効果があるのかもしれません。その香りはバラ同様、おそらく様々な構造を有したテルペン類が 1 つのシダ植物種内で合成されていて、それらの混合物としての人にとっては良い香りになっているのだと思います。さらにシダにおける珍しい摂食抑止機構として、オオエゾシダが合成するテルペノイドの 1 種であるステロール化合物であるファイトエクジソンがあります。その化学構造は昆虫の脱皮ホルモンと基本的に同一であるため、オオエゾシダを食べた昆虫は、幼若ホルモンと前胸腺刺激ホルモンと脱皮ホルモンとの 3 つのホルモンのバランスで制御されている昆虫の変態において、摂取したファイトエクジソンが過剰な脱皮ホルモンとなって作用してしまい、昆虫の分化過程が撹乱されて死に至る、という非常に珍しい機構によって昆虫からの摂食を防いでいます。
 以上、やはりポイントになるのはシダ植物や裸子植物に比べ、被子植物が圧倒的な多様性を占めていることから、昆虫との関係が目立って観察されるのであろうと思われます。現在、研究者によって数字は多少異なりますが、地球上で知られている現生の生物種は約 175 万種、その中で植物は約 28 万種しかなく、その中でも被子植物は約 25 万種を占め、残りは約 1.2 万種がシダ植物、約 1.8 万種がコケ植物、裸子植物はわずか 800 種しかないと言われています。これに対して昆虫は約 95 万種と地球上に現生する全生物種の半数以上の種数を誇っています。これら多様な種類の昆虫と被子植物が多様な相互関係としての補食関係とこれを忌避する機構、逆に植物が昆虫を誘因する機構が多様に進化してきて、それが人々の目に映るのであろうと思います。

小関 良宏(東京農工大学):文責
松葉 由紀(ミシガン大学)

【吉川 寛先生からのご回答】
蝶が食草を探す時に遠くからは視覚(形、色など)や嗅覚(匂い)を使っているでしょう。しかし食草選択の鍵は食草の匂いではなく味なのです。母蝶は食草に接近すると、前脚で植物の葉の表面を叩いて食草であるかどうかを確認しています。この行動はドラミング行動と名付けられ、1930年代から研究の対象になりました。その結果、多くの蝶(例外があるかもしれませんが)では前脚の裏側に感覚毛があり、その中におさまっている4個の神経細胞で葉の表面の化合物を確認・識別していることが分かりました。植物の2次代謝物質の分析がすすんで、アゲハチョウ(ナミアゲハ)では温州ミカンの葉に含まれるシネフリン、スタキドリン、カイロイノシトールなど5種類が産卵誘導物質であることが日本の研究者によって90年代に明らかになりました。更に、遺伝子研究によって神経細胞にはシネフリンを認識することができる味覚受容体が存在することが2011年に報告されました。これまで研究が進んでいるのはモンシロチョウと数種類のアゲハに限られていますが、ドラミング行動の普遍性をみると味覚受容体による感覚毛の働きによって、食草の種類を識別して産卵行動をおこすという仕組みは多くの蝶に共通であるだろうと思います。蝶は前脚の舌のはたらきで、食草を味わって確認しているのです。
第二に裸子植物ですが、日本に生息する蝶の中にソテツを好むシジミチョウがいます。ソテツシジミとクロマダラソテツシジミです。後者は台湾や沖縄に自生する蝶ですが、2008年に突然西宮に大量発生し有名になりました。園芸業者がソテツと一緒に運んできたようです。蝶は植物の進化と共に多様化しています。先祖の蝶は裸子植物やシダ類を食草にしていた時代があったことでしょう。ソテツシジミが先祖型の食性を保存しているのか、あたらしく獲得した性質か分かっていません。この蝶の遺伝子を調べると食草選択の進化について面白いことが分かるかも知れません。世界は広く未知なことがたくさんあります。裸子植物やシダなどを食べるチョウがもっといてもおかしくないでしょう。

吉川 寛(JT生命誌研究館顧問・大阪大学名誉教授・ 奈良先端科学技術大学院大学名誉教授)

JSPPサイエンスアドバイザー
柴岡 弘郎
回答日:2015-05-24