質問者:
大学生
ゆう
登録番号4692
登録日:2020-04-13
初めて質問させていただきます。よろしくお願い致します。みんなのひろば
胚珠の数が植物によって違う理由
私は中学受験塾の理科担当講師をしているもので、現在植物について自学中です。
中学受験では、有名な植物の花弁、萼の枚数、雄蕊や雌蕊、胚珠の数を暗記しなくてはなりません。
対して私は暗記がとことん苦手なのでこの話も含め、どんな単元も理論に頼ろうとしてしまう悪い癖があり、今回の質問もその一環でございます。
胚珠の数が原則1本若しくは多数で、アサガオは6個だということは結果として知っているのですが、なぜそうした数になるのでしょうか。例外的なアサガオは置いておいて、1個若しくは多数になる原理が分かりません。
ひとまず、私なりの考察として動物で考えてみました。
卵(子供)を生む数が多い動物=子育てをしない放任主義な種
卵(子供)を生む数が少ない動物=子育てをする養育熱心な種
だという理論があると思いますが、私からすれば植物は前者の放任主義に分類されるはずです。(親の植物が子供の植物の面倒を見るはずがない。)
そうなれば、胚珠(後の種子)の数は多ければ多い程生存に有利かと思われます。
様々思考・想像してみたのですがいまいちピンとくる解答が分かりません。もし理由が解明されているのであれば、教えていただきたいです。
よろしくお願い致します。
ゆう様
質問コーナーへようこそ。歓迎いたします。
受験勉強を指導するのは大変ですね。「有名な植物の花弁、萼の枚数、雄蕊や雌蕊、胚珠の数を暗記しなくてはなりません。」ということですが、「有名な植物」とはどんな植物を指すのかわかりません。わたくしたちの日常生活は毎日植物なしで済ますことはできないのはご存知だと思います。
食物の大部分は植物ですし、動物性の食物もその元を辿れば全部植物です。だとすれば、わたくしたちが毎日お世話になる植物は全部「有名」なのでしょうか。それとも、昔、数千年前の種子から発芽して花を咲かせたという「大賀ハス」のようなニュースになった植物でしょうか。遺伝子組換えで作られた青色のバラでしょうか。あなたが考えておられる有名な植物というのはは、おそらく「日常一般によく接する植物」だと理解しておきます。それにしてもこれらの個々の植物の花弁、萼の枚数、雄蕊や雌蕊、胚珠の数を暗記しなければならないというのは、私にはナンセンスのことのように思えます。そんなことを生徒に強要したら、植物を含めて生物学が嫌いになってしまうのではないかと心配です。問題ですね。
前置きが長くなりましたが、ご質問の内容について考えてみましょう。まず、お書きになっている植物と動物の生殖様式の比較は生物学的ではありません。生物にとって最も基本となる生物学的な機能は生存の確保と繁殖(子孫を増やすこと)の二つです。現在地球上に生存する生物はすべて、生命の発祥から綿々と続いてきた進化の産物と言ってよいでしょう。進化は生命活動の中枢マシンである遺伝子(DNA) の修飾と変化に裏打ちされて進んできました。それぞれの生物はそれぞれが生息/生育する環境において、生存と繁殖のために適したストラテジー(機能、形態、生態、行動などにおいて)を発達させてきたと言ってよいでしょう。植物と動物の違いはいくつもありますが、最大の違いは植物は移動できないということではないでしょうか、つまりその場所で栄養を補給し、大きくなり、子孫の繁栄も行わなければなりません。普通の植物は種子によって繁殖します。種子の中には胚(幼植物)が作られており、発芽は成長の始まりです。発芽環境が適切な状態であれば、幼植物はもう独立できるのです。言ってみれば植物は親から離れても十分自立して成長できる子供を種子の中に育て上げていると言ってよいでしょう。その意味では「養育熱心型」です。哺乳動物では子供はまだ自立できない状態で体外に出てきますので、いわば子育てが必要なのでしょう。養育熱心な種というわけではないと思います。動物でも魚などではたくさんの卵が孵化しても、幼魚が自立していけるまでは口の中でしばらく面倒を見たりする種もあります。これは放任主義ではないですね。放任型vs養育熱心型という分類を理論というのはいささか乱暴ではないでしょうか。一歩譲って、動物の世界ではそのような傾向があるという一つの見解としてはあるのかもしれませんが、それを植物に当てはめるというのは理解できません。
植物を含めて生物の世界は「多様性」が特徴です。植物において、なぜ花の構造に違いがあるのか、なぜある花は胚珠が一つなのに、別の種類では5つもあるのか。なぜ雌しべが一つだけの花があったり、複数の雌しべがある花があったりするのか。なぜ複数の雌しべが合体したものがあったりするのか。「なぜ」と問いかければきりがありません。いずれ分子的解明が進んでくれば、遺伝子のどこが変わったから、複数の胚珠ができるようになったなどということがわかるでしょう。でも、それは「どのようにして変わったか」が解明されるだけで「なぜ」という問いへの答えではないしょうね。強いて答えるとすれば、進化の過程でそのように変化することが、繁殖のための種子の生産に有利だったのでしょう。ある植物は一つの花に一個の種子が出来れば十分だった、別の植物ではたくさんの種子ができるような遺伝的変化を生じたとき、その変化は優れた繁殖のストラテジーとして温存された、というようなことでしょうか。ちなみに、雌しべの数は科に依ってその数はだいたい決まっています。しかし、雌しべは複数の心皮が合着(融合)している場合は多いですから、一本の雌しべなのに胚珠が複数あり、したがって種子が複数できることになります。しかし、色々な植物を観察すると胚珠の数と同じだけの種子がいつも形成されるとは限らないようです。
子供に多様性を理屈で教える事はできないのではないでしょうか。むしろ多様性の素晴らしいところに目を向けさせることができればいいのではないかと思っています。
質問コーナーへようこそ。歓迎いたします。
受験勉強を指導するのは大変ですね。「有名な植物の花弁、萼の枚数、雄蕊や雌蕊、胚珠の数を暗記しなくてはなりません。」ということですが、「有名な植物」とはどんな植物を指すのかわかりません。わたくしたちの日常生活は毎日植物なしで済ますことはできないのはご存知だと思います。
食物の大部分は植物ですし、動物性の食物もその元を辿れば全部植物です。だとすれば、わたくしたちが毎日お世話になる植物は全部「有名」なのでしょうか。それとも、昔、数千年前の種子から発芽して花を咲かせたという「大賀ハス」のようなニュースになった植物でしょうか。遺伝子組換えで作られた青色のバラでしょうか。あなたが考えておられる有名な植物というのはは、おそらく「日常一般によく接する植物」だと理解しておきます。それにしてもこれらの個々の植物の花弁、萼の枚数、雄蕊や雌蕊、胚珠の数を暗記しなければならないというのは、私にはナンセンスのことのように思えます。そんなことを生徒に強要したら、植物を含めて生物学が嫌いになってしまうのではないかと心配です。問題ですね。
前置きが長くなりましたが、ご質問の内容について考えてみましょう。まず、お書きになっている植物と動物の生殖様式の比較は生物学的ではありません。生物にとって最も基本となる生物学的な機能は生存の確保と繁殖(子孫を増やすこと)の二つです。現在地球上に生存する生物はすべて、生命の発祥から綿々と続いてきた進化の産物と言ってよいでしょう。進化は生命活動の中枢マシンである遺伝子(DNA) の修飾と変化に裏打ちされて進んできました。それぞれの生物はそれぞれが生息/生育する環境において、生存と繁殖のために適したストラテジー(機能、形態、生態、行動などにおいて)を発達させてきたと言ってよいでしょう。植物と動物の違いはいくつもありますが、最大の違いは植物は移動できないということではないでしょうか、つまりその場所で栄養を補給し、大きくなり、子孫の繁栄も行わなければなりません。普通の植物は種子によって繁殖します。種子の中には胚(幼植物)が作られており、発芽は成長の始まりです。発芽環境が適切な状態であれば、幼植物はもう独立できるのです。言ってみれば植物は親から離れても十分自立して成長できる子供を種子の中に育て上げていると言ってよいでしょう。その意味では「養育熱心型」です。哺乳動物では子供はまだ自立できない状態で体外に出てきますので、いわば子育てが必要なのでしょう。養育熱心な種というわけではないと思います。動物でも魚などではたくさんの卵が孵化しても、幼魚が自立していけるまでは口の中でしばらく面倒を見たりする種もあります。これは放任主義ではないですね。放任型vs養育熱心型という分類を理論というのはいささか乱暴ではないでしょうか。一歩譲って、動物の世界ではそのような傾向があるという一つの見解としてはあるのかもしれませんが、それを植物に当てはめるというのは理解できません。
植物を含めて生物の世界は「多様性」が特徴です。植物において、なぜ花の構造に違いがあるのか、なぜある花は胚珠が一つなのに、別の種類では5つもあるのか。なぜ雌しべが一つだけの花があったり、複数の雌しべがある花があったりするのか。なぜ複数の雌しべが合体したものがあったりするのか。「なぜ」と問いかければきりがありません。いずれ分子的解明が進んでくれば、遺伝子のどこが変わったから、複数の胚珠ができるようになったなどということがわかるでしょう。でも、それは「どのようにして変わったか」が解明されるだけで「なぜ」という問いへの答えではないしょうね。強いて答えるとすれば、進化の過程でそのように変化することが、繁殖のための種子の生産に有利だったのでしょう。ある植物は一つの花に一個の種子が出来れば十分だった、別の植物ではたくさんの種子ができるような遺伝的変化を生じたとき、その変化は優れた繁殖のストラテジーとして温存された、というようなことでしょうか。ちなみに、雌しべの数は科に依ってその数はだいたい決まっています。しかし、雌しべは複数の心皮が合着(融合)している場合は多いですから、一本の雌しべなのに胚珠が複数あり、したがって種子が複数できることになります。しかし、色々な植物を観察すると胚珠の数と同じだけの種子がいつも形成されるとは限らないようです。
子供に多様性を理屈で教える事はできないのではないでしょうか。むしろ多様性の素晴らしいところに目を向けさせることができればいいのではないかと思っています。
勝見 允行(JSPPサイエンスアドバイザー)
回答日:2020-04-14