一般社団法人 日本植物生理学会 The Japanese Society of Plant Physiologists

植物Q&A

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pHによるカタラーゼ活性

質問者:   高校生   とも
登録番号4807   登録日:2020-07-20
高校の授業で有機触媒と無機触媒の違いを確認するために行った実験で疑問に思ったことがあります。
 
 この実験では無機触媒としてMnO2、有機触媒として牛の肝臓を用いてH2O2の分解の違いを観察しました。結果として有機触媒では塩基性下での方が酸性下より生じた泡が多かったのですが、それは単に入れる塩酸と水酸化ナトリウムの分量を間違えて、水酸化ナトリウムが少なかったからだと思っていまいした。
 
 しかし高校の先生が「長年見てきて、いつも有機触媒では酸性下より塩基性下で行った時の方が泡の発生が明らかに多い」とおっしゃっていました。
 それはなぜですか?
 
 私は筋肉中などでは乳酸が発生しpHが小さいからカタラーゼは酸性下でよく働くと予想していたのですが真逆の結果になって驚いています。
 教科書や参考書で調べてみてもそもそも有機触媒は酸性下や塩基性下ではあまり働かないとしか書いていません。 
 ではなぜ有機触媒では酸性より塩基性下の方がH2O2の分解が盛んなのでしょうか?
ともさん

みんなのひろばへようこそ
質問を歓迎します。

質問の「ではなぜ有機触媒では酸性より塩基性下の方がH2O2の分解が盛んなのでしょうか?」について答えるには、適切な実験計画に基づいて実験を行うことが必要で、回答不可能です。
説明:
「化学反応が起こるための条件と触媒」
化学的変化がどの向きに起こるかどうかを決めているのは、第一に化学的エネルギー(自由エネルギー)の大小です。2H2O2 → 2H2O + O2の反応は、適当な条件下では左辺から右辺の方向に起こりますが、逆方向には外部からエネルギーを投入しない限り起こりません。この事実を、左辺の物質系と右辺の物質系を比較したとき、原子の種類と数には左辺と右辺で変化がないが、自由エネルギー(化学反応を駆動するエネルギー)は左辺の物質系の方が右辺のものよりも大きいといいます。エネルギー的にみて、反応は左辺から右辺に向けておこりえます。では、なぜ過酸化水素水が相当の期間にわたり安定に存在できるかというと、化学変化の経路の途中には乗り越えなければならないエネルギーの障壁(活性化エネルギーの障壁という)があり、常温ではこの障壁を超えるだけのエネルギーを持つ分子の数が無視できるほど小さいためです。反応系の温度を上げると障壁を超えることのできる分子の割合が増えて、反応が進むようになります(注意:H2O2の場合は、加熱すると爆発的に反応が進行して事故を引き起こす可能性がありますから、絶対にやってはいけません)。一方、触媒の存在下で反応が速やかに進行するのは、活性化エネルギーの障壁(途中の障壁)が低くなるためです。
[pHとタンパク質の構造及び働き]
 食酢は酸性で、なめると酸っぱいと感じ、リトマス試験紙で調べると青い色が赤くなります。炭酸水素ナトリウム(重曹)の水溶液はアルカリ性で濃い液はぬるぬるして苦いと感じ、赤いリトマス試験紙は青色になります。食酢を薄めていくと酸っぱみが次第に弱くなっていきます。酸性、アルカリ性にも程度の差があるわけで、これを数量的に表すために、水素イオン指数(pH:ピーエイチまたはペーハーと発音)を用います:ある溶液のpHは-log10[H+]であらわされます。純水は「H2O ≒H+ + OH」 のように電離していて、25℃では純水の[H+]=10-7モル/Lなので、pH=7となり、これをpHの基準にとり、中性であると表現します。ビーカー中の純水に希塩酸水を加えると、水素イオン(H+)濃度は高くなり(例10-5モル/L)、pHは-log10[H+]=-log10[10-5]=5で、中性の7よりも低いので酸性だと表現します。希塩酸水を更に加えると水素イオン(H+)濃度はますます高くなり、pHは低下していきます。逆に、純水にNaOH溶液のようなアルカリを加えると、OH濃度が上昇し、それにつれてH+濃度は低下するので、pH(-log10H+])は上昇します。
「酵素の構造と働き」 酵素は生物が作り出す生体触媒で、主要部分はアミノ酸(20種類)が多数連結したタンパク質でできています。酵素は、連結したアミノ酸が複雑な立体構造を作ることにより触媒作用を持ちますが、その立体構造は酵素が置かれた溶液のpHによって影響を受けます。例えば、グルタミン酸はカルボキシル基(-COOH)を持ち、これは周辺のpHに依存して-COOH ≒ -COO- + H+のように電離します。リシン(リジンとも呼ばれる)はアミノ基(-NH2)を持ち、これは周辺のpHに依存して -NH3+ ≒ -NH2 + H+のように電離します。たんぱく質を作っているアミノ酸は溶液のpHに依存して+の電荷とーの電荷の数と位置が変化し、それによってタンパク質の立体構造も変化し、酵素の働きも変化します。細胞内のpHは中性付近であることが多く、多くの酵素は中性付近のpHで触媒作用が最大となります。ところが、胃の中で働くペプシンという消化酵素はpH2付近で最大の作用を示します。この差は、酵素を作っているアミノ酸の種類と並び方によって酵素の立体的な構造がpHにより変化し、その結果酵素の働きも変化するためです。酵素の働きは、おおざっぱに言うと、その酵素が働く場所で最大の働きを示すように進化してきました。動物に病原菌などを殺すためにH2O2を発生する細胞組織がありますが、H2O2は反応性が高くて自身の細胞組織にも害を与える可能性があるので、短時間で分解されます(解毒)。カタラーゼはH2O2を短時間内に分解することにより、細菌などの病原生物を殺すと同時に自自身の細胞が害をできるだけ受けないようにしています。
酵素が作用する場所のpHは多くの場合、中性付近です。一方、無機触媒の方は広い範囲のpHで活性を保持しているものが多いので、pHによる働きの差が観察されにいのです。
 さて、質問「ではなぜ有機触媒では酸性より塩基性下の方がH2O2の分解が盛んなのでしょうか?」に戻ります。「酸性液」、「塩基性液」とありますが、酸性、塩基性といってもその程度は上記のように様々です。pH7は中性ですが、酸性溶液ではpHが5,3と下がるにつれて水素イオン濃度は高くなり、塩基性溶液ではpHが9,11と上がるにつれて水素イオン濃度は低くなります。酵素の働きと反応液のpHの関係を調べるには、どの程度の酸性か、アルカリ性かを正確に測定しておく必要があります。また、実験に肝臓の切片を使う場合は、pHが中性付近からずれると、反応液が組織にしみこんでいくにつれ、カタラーゼの立体構造が破壊され(変性するといいます)、次第に触媒能力を失っていきます。触媒能力の変化も反応液のpHの影響が時間的にどのように及んでいくかにより、異なります。組織を用いた実験で、H+やOHがどのように組織に浸透して酵素に到達し、その結果、酵素の立体構造が時間的に影響を受けて、活性が低下していくのかを決定するのはたやすいことではありません。また、何らかの結果が出たにせよ、結果に影響する因子が多すぎて原因の特定が難しく、また、酵素の触媒作用について深い理解が得られるというわけでもありません。
結論として、この実験では、カタラーゼという酵素の働きはpHにより大きな影響を受け、中性付近で最もよく働いて活性も持続するが、無機触媒ではpHの影響をそれほど受けない領域が広いことが分かれば十分だと納得してください。


櫻井 英博(JSPPサイエンスアドバイザー)
回答日:2020-07-27