質問者:
会社員
こやり
登録番号5054
登録日:2021-04-24
ほうれん草等の緑色の野菜を調理する際、沸騰したお湯にさっとくぐらせた後、すぐに冷水等で冷やす、いわゆる湯通しを行うと緑色が鮮やかになると言われます。同様の処理でブランチングと呼ばれる処理があり、冷凍食品の野菜はこの処理をすることで酵素が失活し、保存中の色の劣化が抑えられるということを知りました。植物の色出し
酵素の失活によって色の変化を抑制できることは理解できたのですが、湯通しの処理によって緑色が鮮やかになるのは何故なのか、インターネットや本で調べましたがはっきりとしたことが分からずこちらで質問させていただきます。
私が調べた中では下記の2つのメカニズムが記載されていました。
①沸騰水等での加熱処理により、クロロフィラーぜ活性が増加し、クロロフィリドが生じることにより緑色が増す。
②クロロフィラーぜ活性は関係なく、加熱処理によりクロロフィルとタンパク質との間の結合が切断され、緑色が増す。
①、②ともに対立するような内容で、実際にどのような理由なのかが気になります。
また、お湯に塩を入れることで、クロロフィルから褐色のフィオフェチンへの変化を防ぐことができること、重曹を入れpHを弱アルカリ性に調整し、クロロフィルがより緑色の鮮やかなクロロフィリンになる等の記載もありましたが、これらは正しいのでしょうか。
長文で申し訳ありませんが、ご回答よろしくお願いします。
こやりさん
みんなのひろば「植物Q&A」へようこそ。
質問を歓迎します。
まず、植物の葉の色の料理に関係した視覚変化について、主なものを列挙します:
A: クロロフィルの化学的変化、およびタンパク質などとの相互作用状態の変化による色調の変化
クロロフィルは、テトラピロールと呼ばれる環状構造の中心部分にMgが結合したものに、さらにフィトールというアルコールが結合したものです。クロロフィルは、多くの場合、タンパク質複合体に非共有結合的に結合しています(クロロフィルタンパク質複合体)。一部は光合成を駆動する光化学反応中心で光エネルギーを酸化還元エネルギーに変換する役割を果たしていますが、大部分はアンテナ色素と言って、吸収した光エネルギーを光化学反応中心に伝える働きをしています。クロロフィルはタンパク質と結合しており、加熱するとタンパク質が変性して(立体構造が変化して)、色素の色合い(色素の吸収スペクトル)が変化します。しかし、クロロフィルタンパク質の場合は、短時間の加熱でタンパク質が変性しても可視領域の吸収スペクトルの変化はわずかです。
また、クロロフィルはMgを結合していますが、酸性領域ではMg2+が失われ、代わりにH+が結合したフェオフィチンになり、吸収スペクトルが大きく変化して、緑色から、飴色(べっこう色)に変わります。漬物の高菜や野沢菜、ピクルスのキュウリなどの飴色は、クロロフィルがフェオフィチンに変わったものです。重曹を加えた水は、pHが弱アルカリ性になり、フェオフィチン化を防ぐことができます。ただし、ビタミンC(アスコルビン酸)はアルカリ性だと分解されやすいので、アルカリ性にすることは栄養学的には好ましくない側面を持っています。
B: 加熱による他の色素タンパク質の変性による色調変化
コンブやワカメなどの褐藻類は、アンテナ色素としてクロロフィルのほかに多量のフコキサンチン(カロテノイドの一種)がタンパク質に結合して、緑ないし青色の光をよく吸収します。海の生態系としてサンゴ礁などの画像が出てきますが、水深が深くなると、水は青緑色になります。褐藻類は、フコキサンチンタンパク質の働きで、青緑色の光を光合成に利用することができます(褐色をしています)。加熱によりこのタンパク質が変性すると、吸収する光の吸収スペクトルが大きく変化します。生のコンブやワカメを加熱すると緑がかった色が顕著になりますが、これは、タンパク質の熱変性により、フコキサンチン部分の吸収スペクトルが大きく低下するのに対し、クロロフィル部分の吸収スペクトルはそれほど変化しないためです。
これに対し、アオサやヒトエグサなどの緑藻の主なアンテナ色素は陸上植物と同様に、クロロフィルです。生の緑藻を湯通ししても、ホウレンソウと同様に大きな色調変化はありません。ただし、「こやり」さんが書いたように茹でてから手早く冷水に移すことが必要で、熱い湯に入れっぱなしにしておくと、褐色が強くなります。これは、クロロフィルがフェオフィチンに変化したためです。総合的に考えると、湯通しすると液胞にたまっていた酸の濃度を低減することができ、クロロフィルのフェオフィチン化を防ぐ効果がある。ただし、クロロフィル分子はそれほど安定ではないので、加熱処理の間に徐々に進行するフェオフィチン化を完全に避けることはできない。そこで、加熱後、素早く冷水に移すことにより、フェオフィチン化を相当程度防ぐことはできる。
C: ポリフェノール類の酸化による褐変
植物細胞はクロロゲン酸などのポリフェノール類を液胞に蓄積しており、液胞膜が破壊されると細胞質にあるポリフェノールオキシダーゼ(酵素)がポリフェノールの酸化を触媒して、ポリフェノールは褐色の化合物になる。リンゴの果実の切り口は、次第に褐色となるが、食塩水中では酵素の働きが抑えられるので、褐変を防ぐことができる。茹でることにより、酵素ポリフェノールが活性を失い、また、細胞中のポリフェノールがゆで汁中に失われれば、褐変を防ぐことができる。
D: 光の散乱
すりガラスは、ガラスの一方の表面をサンドブラストなどで処理することにより、表面がでこぼこになり、室内からすりガラスを通して外を見ると、外の状況は光の色や物体の形はなんとなく分かるが、はっきりとは分かりません。これは、ガラスと空気の密度差が大きいために光が屈折されて、直進されずに散乱されるためです。陸上植物の葉は、光合成のために空気中のCO2を取り入れ、発生したO2を大気中に逃がすために、細胞間隙が発達しています。葉の細胞は水分で満たされているため光の屈折率が高く、気体で満たされた細胞間隙部分は屈折率が低いので、屈折率の差から、光は散乱されるものの割合が高くなります。植物生理学の立場からは、葉全体でみると、光は葉の中で散乱により多くの細胞に少しずつ分配されることにより光合成の効率が高まると考えられます。強すぎる直射日光は、多くの植物細胞で光飽和となり、光合成に有効に利用されるものの割合が低くなり、また光障害を引き起こします。ホウレンソウなどの陸上植物の葉は細胞間隙が発達しているので、白っぽい緑色に見えます。葉を茹でると、細胞間隙の空気が水と置き換わり、光の屈折率の差が低下するので、緑色が顕著になります。藻類では空気で満たされた細胞間隙がありません。緑藻のアオサやヒトエグサなどは、細胞間隙は空気ではなく水で満たされています。細胞と細胞間隙の光の屈折率の差は小さいので、生の緑藻を短時間茹でても、屈折率の差は小さいままなため、緑色の色調はほとんど変わりません(細かく言うと、クロロフィルを結合したたんぱく質が熱変性し、そのため光の吸収スペクトルが変化しますが、可視領域の変化はそれほど大きくないので、目視ではその差はごくわずかです。
(詳しくは、[みんなのひろば 植物Q&A]で「細胞間隙」を検索語として調べ、登録番号1855, 1257に詳しい説明が載っています。)
「結論」ホウレンソウの葉を茹でると緑色が鮮やかになりますが、これにはDに述べた光の屈折率の差の低下が最も大きく寄与していると考えられます。長時間では、B、Cの効果もあるでしょう。
なお、「重曹を入れpHを弱アルカリ性に調整し、クロロフィルがより緑色の鮮やかなクロロフィリンになる等の記載もありましたが」に関しては、「クロロフィリンになる」の部分は正しくなく、「H+濃度を下げることにより、クロロフィルのフェオフィチン化を防ぐ」が正しい答えです。
みんなのひろば「植物Q&A」へようこそ。
質問を歓迎します。
まず、植物の葉の色の料理に関係した視覚変化について、主なものを列挙します:
A: クロロフィルの化学的変化、およびタンパク質などとの相互作用状態の変化による色調の変化
クロロフィルは、テトラピロールと呼ばれる環状構造の中心部分にMgが結合したものに、さらにフィトールというアルコールが結合したものです。クロロフィルは、多くの場合、タンパク質複合体に非共有結合的に結合しています(クロロフィルタンパク質複合体)。一部は光合成を駆動する光化学反応中心で光エネルギーを酸化還元エネルギーに変換する役割を果たしていますが、大部分はアンテナ色素と言って、吸収した光エネルギーを光化学反応中心に伝える働きをしています。クロロフィルはタンパク質と結合しており、加熱するとタンパク質が変性して(立体構造が変化して)、色素の色合い(色素の吸収スペクトル)が変化します。しかし、クロロフィルタンパク質の場合は、短時間の加熱でタンパク質が変性しても可視領域の吸収スペクトルの変化はわずかです。
また、クロロフィルはMgを結合していますが、酸性領域ではMg2+が失われ、代わりにH+が結合したフェオフィチンになり、吸収スペクトルが大きく変化して、緑色から、飴色(べっこう色)に変わります。漬物の高菜や野沢菜、ピクルスのキュウリなどの飴色は、クロロフィルがフェオフィチンに変わったものです。重曹を加えた水は、pHが弱アルカリ性になり、フェオフィチン化を防ぐことができます。ただし、ビタミンC(アスコルビン酸)はアルカリ性だと分解されやすいので、アルカリ性にすることは栄養学的には好ましくない側面を持っています。
B: 加熱による他の色素タンパク質の変性による色調変化
コンブやワカメなどの褐藻類は、アンテナ色素としてクロロフィルのほかに多量のフコキサンチン(カロテノイドの一種)がタンパク質に結合して、緑ないし青色の光をよく吸収します。海の生態系としてサンゴ礁などの画像が出てきますが、水深が深くなると、水は青緑色になります。褐藻類は、フコキサンチンタンパク質の働きで、青緑色の光を光合成に利用することができます(褐色をしています)。加熱によりこのタンパク質が変性すると、吸収する光の吸収スペクトルが大きく変化します。生のコンブやワカメを加熱すると緑がかった色が顕著になりますが、これは、タンパク質の熱変性により、フコキサンチン部分の吸収スペクトルが大きく低下するのに対し、クロロフィル部分の吸収スペクトルはそれほど変化しないためです。
これに対し、アオサやヒトエグサなどの緑藻の主なアンテナ色素は陸上植物と同様に、クロロフィルです。生の緑藻を湯通ししても、ホウレンソウと同様に大きな色調変化はありません。ただし、「こやり」さんが書いたように茹でてから手早く冷水に移すことが必要で、熱い湯に入れっぱなしにしておくと、褐色が強くなります。これは、クロロフィルがフェオフィチンに変化したためです。総合的に考えると、湯通しすると液胞にたまっていた酸の濃度を低減することができ、クロロフィルのフェオフィチン化を防ぐ効果がある。ただし、クロロフィル分子はそれほど安定ではないので、加熱処理の間に徐々に進行するフェオフィチン化を完全に避けることはできない。そこで、加熱後、素早く冷水に移すことにより、フェオフィチン化を相当程度防ぐことはできる。
C: ポリフェノール類の酸化による褐変
植物細胞はクロロゲン酸などのポリフェノール類を液胞に蓄積しており、液胞膜が破壊されると細胞質にあるポリフェノールオキシダーゼ(酵素)がポリフェノールの酸化を触媒して、ポリフェノールは褐色の化合物になる。リンゴの果実の切り口は、次第に褐色となるが、食塩水中では酵素の働きが抑えられるので、褐変を防ぐことができる。茹でることにより、酵素ポリフェノールが活性を失い、また、細胞中のポリフェノールがゆで汁中に失われれば、褐変を防ぐことができる。
D: 光の散乱
すりガラスは、ガラスの一方の表面をサンドブラストなどで処理することにより、表面がでこぼこになり、室内からすりガラスを通して外を見ると、外の状況は光の色や物体の形はなんとなく分かるが、はっきりとは分かりません。これは、ガラスと空気の密度差が大きいために光が屈折されて、直進されずに散乱されるためです。陸上植物の葉は、光合成のために空気中のCO2を取り入れ、発生したO2を大気中に逃がすために、細胞間隙が発達しています。葉の細胞は水分で満たされているため光の屈折率が高く、気体で満たされた細胞間隙部分は屈折率が低いので、屈折率の差から、光は散乱されるものの割合が高くなります。植物生理学の立場からは、葉全体でみると、光は葉の中で散乱により多くの細胞に少しずつ分配されることにより光合成の効率が高まると考えられます。強すぎる直射日光は、多くの植物細胞で光飽和となり、光合成に有効に利用されるものの割合が低くなり、また光障害を引き起こします。ホウレンソウなどの陸上植物の葉は細胞間隙が発達しているので、白っぽい緑色に見えます。葉を茹でると、細胞間隙の空気が水と置き換わり、光の屈折率の差が低下するので、緑色が顕著になります。藻類では空気で満たされた細胞間隙がありません。緑藻のアオサやヒトエグサなどは、細胞間隙は空気ではなく水で満たされています。細胞と細胞間隙の光の屈折率の差は小さいので、生の緑藻を短時間茹でても、屈折率の差は小さいままなため、緑色の色調はほとんど変わりません(細かく言うと、クロロフィルを結合したたんぱく質が熱変性し、そのため光の吸収スペクトルが変化しますが、可視領域の変化はそれほど大きくないので、目視ではその差はごくわずかです。
(詳しくは、[みんなのひろば 植物Q&A]で「細胞間隙」を検索語として調べ、登録番号1855, 1257に詳しい説明が載っています。)
「結論」ホウレンソウの葉を茹でると緑色が鮮やかになりますが、これにはDに述べた光の屈折率の差の低下が最も大きく寄与していると考えられます。長時間では、B、Cの効果もあるでしょう。
なお、「重曹を入れpHを弱アルカリ性に調整し、クロロフィルがより緑色の鮮やかなクロロフィリンになる等の記載もありましたが」に関しては、「クロロフィリンになる」の部分は正しくなく、「H+濃度を下げることにより、クロロフィルのフェオフィチン化を防ぐ」が正しい答えです。
櫻井 英博(JSPPサイエンスアドバイザー)
回答日:2021-05-22