一般社団法人 日本植物生理学会 The Japanese Society of Plant Physiologists

植物Q&A

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兼好の観察は正しいのか?

質問者:   大学院生   shiro
登録番号5400   登録日:2022-06-27
『徒然草』第百五十五段に「木の葉の落つるも、まづ落ちて芽ぐむにはあらず、下よりきざしつはるに堪へずして、落つるなり。」という一節があります。兼好は、木の葉が落ちるのは、先に葉が落ちてから芽ぐむのではなく、下から芽ぐむ力に耐えきれずに落葉する、という観察をしていますが、このような現象は実際にあるのでしょうか?
shiro様
 
こんにちは。日本植物生理学会の植物Q&Aコーナーに寄せられたあなたのご質問「兼好の観察は正しいのか?」にお答えします。
植物生理学会の質問コーナーに古典文学の記述に関する質問が寄せられるのは珍しいことですが、文学を専攻される方が植物に興味を持って下さるのは嬉しいことです。
 
回答にあたって戸惑いがあります。まず最初に、この記述は兼好が実際に見たことが書かれているのか?この種の文章は科学的に正しい必要があるのか?言い換えれば、読者に伝えたい思いを分かりやすく説明するために考えた譬えであってもよいのではないか?そうならば、これを科学的に吟味する意味はあるのか?しかし、ここでは、兼好が実際に観察したことが記されているとの前提で考えてみたいと思います。
 
この一節は、現代語では「木の葉が落ちるのは、先に葉が落ちてから芽ぐむのではなく、下から芽ぐむ力に耐えきれずに落葉する」となるとのことです。この文章の前に「春暮れて後、夏になり、夏果てて、秋の来るにはあらず。春はやがて夏の気を催し、夏より既に秋は通ひ、秋は即ち寒くなり」とあるので、これらと対応させれば「先に葉が落ちてから芽ぐむのではなく」は「葉が落ちて後に芽が出るのではない。葉が落ちようとしているときには既に芽が出来始めているのだ」という意味なのかもしれません。ここでの芽が葉の付け根に出来る腋芽のことであるならば、若い葉の葉腋には既に腋芽は出来ており、枯れて落葉するときには既に越冬芽は出来ているので、この文章は植物学的に正しいことになります。しかし、「下から芽ぐむ力に耐えきれずに落葉する」という部分が分かりません。この部分が文学的に、あるいは思想的に重要な部分なのでしょうが、植物学的には曖昧です。次の世代の若い芽が育つ内的生理活性(生命力)が強くなってきて、それに抗しきれずに古い世代の葉が落ちてゆくということでしょうか?しかし、そうであるならば、若い芽はどんどん生長してゆくはずですが、落葉の後は越冬芽として休眠するのが普通です。芽ぐむ力が「下から」という点を考慮すると、葉の下にある芽が大きくなる物理的な圧力に葉が耐えきれずに落葉すると解釈することもできそうです。腋芽は葉の下にあると言ってもよい位置関係にあるので、腋芽が大きくなれば枯れて弱った葉はその押し出す力に耐えきれずに落ちてしまうということはありそうです。ただし、やはり落葉の時期に腋芽が大きくなりつつあることは普通はありません。そこで、思い至るのはカシワの例です。
 
カシワは落葉樹で、葉は秋には枯れますが、落葉することなく枝についたまま冬を越し、春に若芽が芽吹く頃に落ちます。他のブナ科の木本でもしばしば見られる現象です。一般に、落葉樹の葉は秋に葉の基部に離層を形成し、この部分の細胞が崩壊することによって葉が茎から切り離されます。カシワではこの離層が形成されない、あるいは、形成が不十分なために落葉が起こらないのです(本質問コーナーの過去の質問、登録番号0326, 0526, 2622, 4069をご覧ください)。しかし、春になれば落葉するのですが、それは、大きく生長を始めた新しい芽に押し出されるためだと言われています(このことについての文献は見つけることができませんでした)。この現象は「下から芽ぐむ力に耐えきれずに落葉する」という表現と矛盾しません。「木の葉の落つるも・・・」の一文は「春はやがて夏の気を催し、夏より既に秋は通ひ、秋は即ち寒くなり、十月は小春の天気、草も青くなり、梅も蕾みぬ」と春、夏、秋、小春と季節の移りを述べた後に続いて来るので、ここでの落葉は秋の落葉ではなく、春のそれかもしれません。そうであるならば、兼好はカシワの春の落葉の様を正しく観察したのかもしれません。
 
とは言うものの、我ながら強引な話の展開です。やはり、最初に述べたように、これは兼好が実際に見たことではなく、頭で考えた譬えであろうとするのが無難ではないでしょうか。兼好はこんなことを書いているが、カシワという木では似たような現象があるそうだ、というような文学と植物学に共通する話題のやりとりを楽しむことで十分かと思います。
竹能 清俊(JSPPサイエンスアドバイザー)
回答日:2022-07-01