一般社団法人 日本植物生理学会 The Japanese Society of Plant Physiologists

植物Q&A

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ミズゴケが作る酸性物質について

質問者:   教員   ミジンコ
登録番号5454   登録日:2022-09-03
高校で自然科学部の顧問をしています。地域と連携してハッチョウトンボという絶滅危惧Ⅱ類のトンボの保全活動を行っています。私達の研究目標はこのトンボが生育できる環境の解明で、現在はヤゴが生育する水質について調査しています。このトンボは貧栄養環境に生息すると言われていて、私達が調査しているトンボの生育地のほとんどにミズゴケがあることから、ミズゴケに注目して研究しています。そこでミズゴケについてですが、No.4777の「ビートモスが酸性となる理由」を拝読しました。ここには、「ミズゴケの細胞壁にあるゲル状ペクチン性物質があり、これは糖が酸化したウロン酸のポリマーで酸性物質である」と書かれています。また、「ミズゴケ細胞壁にあるsphagnanが好気的分解を抑制する作用がある」とも書かれています。私達が調べた文献や資料には「ミズゴケは酸性物質を分泌する」と書かれているものがあり、実際にミズゴケをすりつぶした液のpHはとても低く3.5~4です。このことについて質問ですが、
①このすりつぶした液の酸性物質は、4777で記載されているウロン酸とは別のものと考えていいでしょうか?
②ミズゴケが生えている所が貧栄養になるのは、その場所の分解者が働かず、無機窒素が少なくなるためと考えていますが、分解者が働かない原因は、酸性環境であることとsphagnanの2つあると考えられるのでしょうか?
すみません、長々と書きましたが、ミズゴケのある湿地と、ミズゴケのない湿地、同程度に水があるのに、そこに生育する植物種も水生昆虫も全く異なっていてとても不思議です。アドバイスをお願いします。
ミジンコさん

みんなのひろば 植物Q&Aへようこそ。
質問を歓迎します。
植物の生育に必須な元素(栄養素)は、17種類ほどあるといわれ、そのうちH、O、C、N、P、K、Ca、Mg、Sは多量元素と呼ばれ、その他に、微量元素として、Fe、B、Mn、Cu、Zn、Mo、Ci、Ni、Si、Naも必要だとされています。これらの必須元素は、植物が生育する環境中の空気、土、水などから供給されます。自然生態系では、動物が植物を食べ、動物の糞や死骸、植物の枯れ葉は微小消費者(分解者)によって分解されて、環境中に放出されて、植物の生育に利用されます。このようにして、多くの自然生態系では栄養素の循環系が成り立っています。広い後背地を持つ川の下流域では、植物体に含まれていた栄養素を上流の生物群が食べて分解してくれることにより、下流域の植物が必要とする栄養素が豊かになり、高い農業生産性を支えています。エジプトのナイル川下流域の農業、我が国の利根川などの下流域の水田農業は、化学肥料なしでも、比較的高い生産性を保つことができました。他方、広い後背地を持たない湿原では、植物に必要な窒素、リン、カリウムなどの栄養素の供給が、非常に乏しくなります。わずかに供給される栄養素も、そこに生えている植物に吸収されてしまうので、多くの植物は常に栄養不足の状態にさらされることになります。しかも、高層湿原は、表流水よりも高い位置に形成されるので、周辺の河川から供給される栄養素も一層限られるため、極端に貧栄養の状態に置かれています。そのような地帯に生える植物に含まれるたんぱく質などの栄養素の含量は低いので、それを餌とする動物群も量的に貧弱になって、限られた種の動物が細々と、何世代にもわたって子孫を残すことが課題となります。
わが国では、湿原の代表として尾瀬ヶ原や釧路湿原が挙げられますが、湿原を取り囲む後背地から供給される植物栄養素が量的に極めて貧弱なので、貧栄養の水でも育つコケ類が茂ります。光、CO2、水は十分ありますが、無機栄養素が少ないので、光合成による有機物の合成はゆっくりと進むが、その産物は窒素栄養含量が極めて低く、ミズゴケ類が優占種となります。光合成に必要な光を受けるために、ミズゴケ類は元の部分は水中に残したまま成長を続けて盛り上がった群落を形成しますが、植物体は動物にとっても利用できる栄養素が少ないので、動物に食われることも少なく、また、冷涼な環境下では微生物によって分解される速度も低いので、古い植物体は水中に打ち捨てられて、泥炭化していきます。ミズゴケに含まれる、フェノール性化合物は、多くの細菌種の生育を妨げるという報告もあります。このような貧栄養の環境では、限られた種類の動物(昆虫など)が細々と生存し子孫を残すことができます。ピートモスは全体として酸性を示しますが、その原因は、体内に酸性物質を多く含むためだけではなく、細胞壁(水に不溶性です)のペクチンがカルボキシル基(ーCOOH)を持ったガラクツロン酸でできているためだと考えられます(参考のために、ご指摘のように、本、植物Q&Aのサイトで登録番号4777をご覧ください)。
ミズゴケは細胞層が1層なので、表面積/体積の比率が高く、水環境のpHに与える影響は、細胞内にため込んだ酸性物質の量だけではなく、細胞表層のカルボキシル基(ガラクツロン酸に由来)も大きな影響を与えていると考えられます。
ご質問で、ミズゴケをすりつぶして実験したところ、細胞の内容物が酸性だったとのことですが、実験方法の要点としては、細胞をすりつぶして得られる懸濁液を十分強い遠心力によって、上澄みと沈殿にきちんと分けることが肝要です。
余裕と設備があれば、上澄みだけでなく、水に不溶な残渣の方の酸性度やイオン交換能力(イオン交換容量)を滴定により調べることが役に立つでしょう。化学実験で使うイオン交換合成樹脂では、陽イオン交換に関与するのは、スルホン酸基(-HO3H)です。ガラクツロン酸の場合はカルボキシル基です。イオン交換容量の測定法は、高校の化学実験の解説サイトで調べてください。

ご質問に戻り:
「ミズゴケ細胞壁にあるsphagnanが好気的分解を抑制する作用がある」とも書かれています。私達が調べた文献や資料には「ミズゴケは酸性物質を分泌する」と書かれているものがあり、実際にミズゴケをすりつぶした液のpHはとても低く3.5~4です。このことについて質問ですが、

①このすりつぶした液の酸性物質は、4777で記載されているウロン酸とは別のものと考えていいでしょうか?

回答:すりつぶした植物材料のpH測定に、すりつぶした組織そのものをそのまま使ったのでしょうか?それとも、ろ過または遠心分離によって、沈殿と可溶性画分をきちんと分けて、それぞれについてpHを測定したのでしょうか?十分な力で遠心するのが最も重要です。もし、細胞表層を含まない上清について測定した場合は、pHに大きく寄与するのは液胞液だとかんがえられます。

②ミズゴケが生えている所が貧栄養になるのは、その場所の分解者が働かず、無機窒素が少なくなるためと考えていますが、分解者が働かない原因は、酸性環境であることとsphagnanの2つあると考えられるのでしょうか?
 すみません、長々と書きましたが、ミズゴケのある湿地と、ミズゴケのない湿地、同程度に水があるのに、そこに生育する植物種も水生昆虫も全く異なっていてとても不思議です。アドバイスをお願いします。

回答:窒素化合物のほかに、リンも欠乏状態にあると考えられ、しかも酸性のpHです。分解者自身も命をつなぐために、窒素やリンを含む化合物を必要とします。

追加質問[①このすりつぶした液の酸性物質は、4777で記載されているウロン酸とは別のものと考えていいでしょうか?]に関して

回答:細胞をすりつぶして得られる遠心上清が酸性だったとのことですが、遠心力が不十分な場合は、細胞表層のウロン酸残基が考えられます。細胞は1層で、体積当たりの表面積が大きく、しかも表層はウロン酸を結合しているので、表層と細胞内容をきちんと分けて測定することが重要です。遠心力が十分強かった場合は、液胞に含まれていたウロン酸以外の酸性物質が酸性化に寄与しているのかもしれません。なお、ミズゴケの液胞に含まれる成分については、私の調べた限りでは、学術雑誌に掲載された報告は見つかりませんでした。

追加質門[②ミズゴケが生えている所が貧栄養になるのは、その場所の分解者が働かず、無機窒素が少なくなるためと考えていますが、分解者が働かない原因は、酸性環境であることとsphagnanの2つあると考えられるのでしょうか?

回答:窒素栄養が乏しいのは、もともと環境中の植物に含まれている量が少ないのが原因の第1です。分解者が働かない原因としては、動物にしても微生物にしても、ミズゴケを分解して体内に取り入れたとき、細胞増殖のための素材として利用できる価値ある物質量が極めて低いためです。分解者自身も、増殖には栄養物質が必要です。植物の方でも、細胞の内外ともに、分解者の作用を受けにくい成分で防御しており、そのため、いったん取り入れた栄養素を大事に使うことによって、貧栄養環境で命をつなぐことができていると考えられます。

なお、ミズゴケが生えるような地形では、しばしば、モウセンゴケなどの食虫植物が見られます。きわめて貧栄養の環境では、植物にとって昆虫の体に含まれる窒素やリンなどの栄養素は、たとえ少量であっても貴重であり、虫を捕まえることは、たとえて言えば一等賞金額の低い宝くじをあてにするようなもので、少量の栄養素しか得られないにしても、価値があるということになります。
櫻井 英博(JSPPサイエンスアドバイザー)
回答日:2022-09-08