質問者:
その他
関口
登録番号5576
登録日:2023-03-03
このあいだ向ケ丘遊園でやっていたイベントで花を無料でくれたのでもらってきました。ビンに水を入れて花(植物)をいれて、毎日水をかえていたのですが、だんだん花は枯れていきました。でも、何が植物の場合、生命体としての死に該当するのかわからず、花が枯れたから「生きている」のに捨てるというのは人間のおごりのような気がして捨てることができません。花屋さんに、植物の場合、何が生命体としての死に該当するのか聞いてみましたが、よくわからないようでした。花屋さんは、花が枯れたら捨ててしまうようでした。花屋さんは仕事だからそれでいいかもしれません。でも、動物には動物虐待というものがあるようですが、「植物虐待」というのは存在しないのでしょうか。植物の場合、何が生命体としての死に該当するか、教えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。
みんなのひろば
生命体としての死について
関口樣
Q&Aコーナーへようこそ。歓迎いたします。ですが、大変難しい問題ですね。全ての生物の個体の死をまとめて定義する事は不可能ではありませんが、それは極めて抽象的な定義にならざるを得ません。生物にも単細胞生物のように単純な生命形態から、ヒトのように極めて複雑ものまであります。特にヒトの場合はなにをもって死と判定するかは色々な立場でも異なります。しかし、動物(ヒトも含めて)の死を生物学的に定義してみると、やはり多少とも抽象的になってしまいますが、次のように言えるのではないかと思います。動物の身体は多くの種類の組織や器官が複雑に絡み合って構成されており、個体が生きているためには、これらの組織や器官の複雑なネットワークが調和のとれた一つのシステムとして働いています。このシステムが順調に働かなくなり、修復もできなくて個体全体の維持が不可能になる極限を超えた状態が「死」である。勿論個体が死んでも、移植が行われているように、細胞、組織、器官がすぐそのまま死ぬ訳ではありません。
さて、ご質問の本題である植物の場合はどのように考えたら良いのか。植物が動物と根本的に異なる点はいくつかあります(この問題についてご関心があれば、『動物と植物はどこがちがうか』高橋英一著、研成社を読んで下さい)。まず、植物は茎や枝の先端に茎頂分裂組織があり、この部分はいわば胚細胞状組織であるという事です。この活動が続く限り植物は成長を続け、生き続ける事ができます。1000年以上も成長を続ける屋久杉はその例です。茎頂分裂組織では新しく未分化の細胞が作られ、それらが分化して様々な組織や器官が作られます。植物の構造は単純で根系と地上部からなり、地上部は茎(枝)と葉だけです。そして生殖器官の花は葉が変わったものです。根系も単純で、主根と支根(側根)と根毛だけです。平たく言ってしまえば、植物の身体は根、茎、葉、の三つの主要な器官でなりたっています。それぞれの役割は、根は地中から水分と栄養分(主として無機物質)吸収し、茎中を通っている導管によってこれらを地上部に輸送します。茎は植物体の構造支持体としても重要です。葉は光合成を行い必要な有機物質を作り出したり、その材料となる物質を合成します。これらの物質は茎中の師管を通して身体の各所に運ばれます。言ってみればこれらの機能が纏まって植物体全体のネットワークとして順調に作動していれば、植物は生きており、成長も継続できます。しかし、植物体(動物にも)にとっておそらく一番大切なことは水の補給ではないかと思います。植物体から水が失われると植物は急速に萎れますが、萎れても水を補給すると萎れは回復できます。しかし、ある限界点まで萎れると回復はできなくて、個体は死ぬ(枯れる)事になります。このような萎れ(凅萎)を永久凅萎と言います。動物での極限ですね。
植物のもう一つの特徴は再生能力が極めて高いという事です。森林の火事によって地上部が焼けて棒杭のようになってしまっても、しばらくすると、中にはその焼け杭から新芽が芽吹き、やがて元のようになる事がしばしば見られます。これは茎(幹)の樹皮の下に埋没していたエピコルミック芽によるものです。日本では『胴ぶき」呼ばれている現象です。また、オーストラリアのバンクシアとかユウカリの仲間には火事などで地上部が駄目になってしまっても、茎の基部との根の接続部が膨らんで瘤(リグノチューバー)になっており、そこから新しい芽が出てきます。このようにして再生した個体は前と同じ個体とみなして良いでしょう。つまり、個体は死んでいない。重度の傷害から治癒したと同じです。
他方、普通の植物でも切り枝や、時には切り取った葉から根(不定根と言います)や芽(不定芽と言います)ができてきて、それから新しい個体が出来ることは珍しい事ではありません。実際に繁殖手段として利用もされています。この場合の再生はどうでしょうか。前の個体は枯れてしまい、切り離されて再生した個体は、同じゲノム遺伝子をもつクローン植物です。この場合は同じ個体が生き残っているというよりは、分家した植物と言ったほうが良いでしょう。
ご質問によると、切り花を活けていて、花が終わってもまだ茎や葉は生きているのに捨てるのは「植物虐待」ではないかと問うておられるように理解します。「虐待」という問題は植物学の観点からはお答えできる事柄ではありませんので、なんともコメントできません。ただ、花が終わっても茎や葉が枯れていなければ、もしかするとその茎から不定根を発根させることができるかもしれません。唯どんな条件ででもというわけではありませんが。
尚、「植物の死」に関してはこのコーナーで以前に扱われていますので(登録番号932)、是非それを先に読んでください。
Q&Aコーナーへようこそ。歓迎いたします。ですが、大変難しい問題ですね。全ての生物の個体の死をまとめて定義する事は不可能ではありませんが、それは極めて抽象的な定義にならざるを得ません。生物にも単細胞生物のように単純な生命形態から、ヒトのように極めて複雑ものまであります。特にヒトの場合はなにをもって死と判定するかは色々な立場でも異なります。しかし、動物(ヒトも含めて)の死を生物学的に定義してみると、やはり多少とも抽象的になってしまいますが、次のように言えるのではないかと思います。動物の身体は多くの種類の組織や器官が複雑に絡み合って構成されており、個体が生きているためには、これらの組織や器官の複雑なネットワークが調和のとれた一つのシステムとして働いています。このシステムが順調に働かなくなり、修復もできなくて個体全体の維持が不可能になる極限を超えた状態が「死」である。勿論個体が死んでも、移植が行われているように、細胞、組織、器官がすぐそのまま死ぬ訳ではありません。
さて、ご質問の本題である植物の場合はどのように考えたら良いのか。植物が動物と根本的に異なる点はいくつかあります(この問題についてご関心があれば、『動物と植物はどこがちがうか』高橋英一著、研成社を読んで下さい)。まず、植物は茎や枝の先端に茎頂分裂組織があり、この部分はいわば胚細胞状組織であるという事です。この活動が続く限り植物は成長を続け、生き続ける事ができます。1000年以上も成長を続ける屋久杉はその例です。茎頂分裂組織では新しく未分化の細胞が作られ、それらが分化して様々な組織や器官が作られます。植物の構造は単純で根系と地上部からなり、地上部は茎(枝)と葉だけです。そして生殖器官の花は葉が変わったものです。根系も単純で、主根と支根(側根)と根毛だけです。平たく言ってしまえば、植物の身体は根、茎、葉、の三つの主要な器官でなりたっています。それぞれの役割は、根は地中から水分と栄養分(主として無機物質)吸収し、茎中を通っている導管によってこれらを地上部に輸送します。茎は植物体の構造支持体としても重要です。葉は光合成を行い必要な有機物質を作り出したり、その材料となる物質を合成します。これらの物質は茎中の師管を通して身体の各所に運ばれます。言ってみればこれらの機能が纏まって植物体全体のネットワークとして順調に作動していれば、植物は生きており、成長も継続できます。しかし、植物体(動物にも)にとっておそらく一番大切なことは水の補給ではないかと思います。植物体から水が失われると植物は急速に萎れますが、萎れても水を補給すると萎れは回復できます。しかし、ある限界点まで萎れると回復はできなくて、個体は死ぬ(枯れる)事になります。このような萎れ(凅萎)を永久凅萎と言います。動物での極限ですね。
植物のもう一つの特徴は再生能力が極めて高いという事です。森林の火事によって地上部が焼けて棒杭のようになってしまっても、しばらくすると、中にはその焼け杭から新芽が芽吹き、やがて元のようになる事がしばしば見られます。これは茎(幹)の樹皮の下に埋没していたエピコルミック芽によるものです。日本では『胴ぶき」呼ばれている現象です。また、オーストラリアのバンクシアとかユウカリの仲間には火事などで地上部が駄目になってしまっても、茎の基部との根の接続部が膨らんで瘤(リグノチューバー)になっており、そこから新しい芽が出てきます。このようにして再生した個体は前と同じ個体とみなして良いでしょう。つまり、個体は死んでいない。重度の傷害から治癒したと同じです。
他方、普通の植物でも切り枝や、時には切り取った葉から根(不定根と言います)や芽(不定芽と言います)ができてきて、それから新しい個体が出来ることは珍しい事ではありません。実際に繁殖手段として利用もされています。この場合の再生はどうでしょうか。前の個体は枯れてしまい、切り離されて再生した個体は、同じゲノム遺伝子をもつクローン植物です。この場合は同じ個体が生き残っているというよりは、分家した植物と言ったほうが良いでしょう。
ご質問によると、切り花を活けていて、花が終わってもまだ茎や葉は生きているのに捨てるのは「植物虐待」ではないかと問うておられるように理解します。「虐待」という問題は植物学の観点からはお答えできる事柄ではありませんので、なんともコメントできません。ただ、花が終わっても茎や葉が枯れていなければ、もしかするとその茎から不定根を発根させることができるかもしれません。唯どんな条件ででもというわけではありませんが。
尚、「植物の死」に関してはこのコーナーで以前に扱われていますので(登録番号932)、是非それを先に読んでください。
勝見 允行(JSPPサイエンスアドバイザー)
回答日:2023-03-05