一般社団法人 日本植物生理学会 The Japanese Society of Plant Physiologists

植物Q&A

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遺伝の様式

質問者:   教員   hammar
登録番号5631   登録日:2023-05-11
授業について調べ物をしていると、自分が高校や大学で学んでいた頃とは大きく内容が変わっていて驚く今日この頃です。

遺伝の項目を見ていると、以前は「互助遺伝子」としてニワトリの鶏冠が例に載っていました。正確には現在も載ってはいるのですが、「互助遺伝子」という言葉は削除されていました。

なぜだろうと思って調べてみると、とあるサイトにある大学の先生が「「互助遺伝子」という言葉は、一部の受験参考書などに出てくるそうだが、専門家には理解できない受験専門用語の一つである。ニワトリのとさかの形態の遺伝様式がその典型例で、「補足遺伝子」の一種として教えられているらしい。この用語が具体的にどのような現象を指すのかを説明した例を知らないし、実際に教えている先生方に質問しても要領を得ない答しか帰ってこない。これに相当するような原語も見当たらないので、おそらく、受験参考書の著者の創作と想像されるが、全く意味のない用語を一つ増やしただけであろう。」と書いておられました。

現在の高校生物の資料集には以下のような遺伝様式が掲載されています。

・不完全優性
・致死遺伝子
・複対立遺伝子
・補足遺伝子
・抑制遺伝子
・条件遺伝子
・同義遺伝子
・被覆遺伝子
・伴性遺伝
・限性遺伝

これらの中で、互助遺伝子のように専門家の先生方から見て、「この用語はおかしい」とか「この用語の定義は間違っている」とか「この用語の高校の教科書に書いている内容は不適切である」とか「そもそもこれは専門家の間で認められた用語ではない」というものがあれ教えていただけますでしょうか?

また、致死遺伝子、条件遺伝子、抑制遺伝子については、資料集などに載っている例が動物ばかりなので、もし植物で分かりやすい例などあれば、そちらも教えていただきたいです。(伴性遺伝や限性遺伝については植物の例の記載が無いのも無理からぬことと思いますが…)
hammar様

 こんにちは。日本植物生理学会の植物Q&Aコーナーに寄せられたあなたのご質問「遺伝の様式」にお答えします。
 ご質問は学校教育上かなり本質的で重要なものであり、その回答は多くの高校教員の皆様にも有用であろうと思いましたので、慎重な回答を期して、遺伝学が専門の日本遺伝学会に照会し、その遺伝学教育用語検討委員会に回答をお願いしました。慎重な検討を頂き、丁寧な回答をお寄せ頂きました。周囲のお仲間と共有して頂ければ幸いです。
 
竹能清俊(JSPPサイエンスアドバイザー)
 
 以下、日本遺伝学会遺伝学教育用語検討委員会からの回答です。

ご質問ありがとうございました。医療にゲノム情報が利用されるようになりつつありますが、そのような世の中でも、無用の誤解を生まぬよう、また健康、環境、自然に正しく向き合えるよう、一般の皆様にも遺伝の知識が正しく伝わればと考える今日この頃です。
しかし一方で、中高の生物学教育が単なる暗記科目になってしまうと、生物や遺伝の「理解」が進まないのでは、とも危惧しております。実際、今回挙げていただいた用語リストの中には研究者の間でも現在ではほとんど使われない用語も含まれていました。参考書に記載され、教科書に記載されないこれらの用語にどのように向き合うか、教育の現場ではとても難しい問題であるとお察しします。

挙げていただいた用語は、遺伝様式の個々の例を理解するには大いに役立つと思いますが、それぞれの用語を「暗記」することには余り意味を感じません。また、遺伝様式は様々な要素が絡み合って見えてくるもので、現在も新たな発見がされています。以下、だいぶ長くなりますが、挙げていただいた用語を整理した上で、各用語の要・不要の意見を述べたいと思います。

0) 基本的な用語の整理
下記の説明では、遺伝子、遺伝子座、アレル(対立遺伝子)という用語を使いますので、先におさらいしておきます。
* 遺伝子:生物の形質を支配する因子であり、タンパク質など、体を構成する部品の設計図の役割を果たします。
* 遺伝子座:座とは、染色体上の場所で、住所のようなものです。遺伝子の座は「遺伝子座」となります。
* アレル(対立遺伝子):ここでは遺伝子の話しかしないので「遺伝子のバリエーション」と考えてください。衣服や車など、同じ製品名でもバリエーション展開があったりしますが、同様に、同じ遺伝子でもバリエーションがあるのです。多くの遺伝子にバリエーションがあり、その組み合わせが、身体の個性を作ることになります。

1) 1遺伝子座の話
いただいた遺伝様式の用語には、ひとつの遺伝子座で完結するものと、複数の遺伝子座の関係性によるものがありました。不完全顕性、複アレル(複対立遺伝子)、伴性遺伝は1遺伝子座で完結する遺伝様式に関する用語です。
1-1) アレル同士の関係性
一つの遺伝子座には(有性生殖の場合は)母親由来、父親由来の2つのアレル(対立遺伝子)があり、これらの関係により様々な遺伝の様式が観察されます。顕性、潜性は、どちらのアレルが形質にあらわれるかという関係性ですが、はっきりしないものもあります。そういうものは不完全顕性(半顕性)と呼びます。ABO式血液型のようにもっとややこしいもの(共顕性)もあります。

1-2)アレルの数のこと
1遺伝子座で考えれば、1個体が持つアレルは2つ(2倍体の場合)ですが、集団で考えれば、アレルは3つ以上存在するのが普通です。例えば、血液型のABOで、3つのアレルが関係しています。このような現象を複アレル(複対立遺伝子)と呼びます。

1-3)遺伝子のもたらす形質が、見かけ上の遺伝様式に影響し、それによって遺伝様式関連の用語と見なされるものがあります。致死遺伝子など。子孫が死んで生まれてこない場合、見かけ上の形質の分離比に影響するためです。(ただし、致死となった個体を数えることができれば、単なる形質の問題であることがわかります)。

1-4) 1つの遺伝子の染色体上の場所も、遺伝の様式に影響します。例えば、性染色体にある遺伝子は伴性遺伝をします。例えば、この遺伝様式のために母親の形質が子供の雄にだけ現われることがあります。これが伴性遺伝です。リストに挙がっている「限性遺伝」は伴性遺伝の一種ですが、今ではほとんど使われないようです。

2) 2遺伝子座以上の話
上記でも十分ややこしいと思いますが、生物は多数の遺伝子で設計されているので、実際には遺伝子間の相互作用が入ってきます。遺伝様式はさらにややこしくなります。そういった複数の遺伝子間の関係についての用語が、リストにある、補足遺伝子、抑制遺伝子、条件遺伝子、同義遺伝子、被覆遺伝子(互助遺伝子も)です。他の遺伝子を抑制したり、補足したり、考えうる関係性が網羅されているかもしれません。実例を知れば「なるほどね!」となって理解を大いに助けてくれると思いますが、ありとあらゆる関係性がありますので、暗記そのものに意味があるとは思えません。研究の現場でも「エピスタシス」(遺伝子間の相互作用)でひっくるめて呼んでおり、上記に挙げていただいた用語は、専門家でも、意味がはっきりしない、聞いたことがないというものが多くありました。

日本遺伝学会教育用語検討委員会では、リストしていただいた用語のうち、不完全顕性、複アレル、致死遺伝子、伴性遺伝は、人の健康問題とも大いに関係するため一般にも知っておいていただくべきではと考えていますが、遺伝子間の相互作用に関する個々の用語は、エピスタシスあるいは遺伝子間相互作用にひっくるめてしまうべきではと考えています。「これらの相互作用には、補足、抑制、同義などのさまざまな関係性がある。」くらいが良いのではないでしょうか。

また、植物における致死遺伝子、条件遺伝子、抑制遺伝子の例についてのご質問について、わかる範囲でお答えします。

致死遺伝子:生命維持に必須の遺伝子に変異が入れば致死遺伝子となるはずですが、植物では多種子(子孫)の種が多いことに加え、ゲノム倍数化している種も少なくないため、致死遺伝子は動物ほど明白ではありません。そのせいか、一般にはあまり知られていないようです。
一方、実験用植物として用いられるシロイヌナズナは同義遺伝子が少なく、致死変異も多く報告されています。シロイヌナズナのデータベースTair(https://www.arabidopsis.org/index.jsp)でlethalと検索したころ、253遺伝子座が検索されました。一般向けのホームページでは見つけることができませんでしたが、根が形成されない、オーキシンに反応できないなど、表現型もさまざまです。

条件遺伝子:スイートピーの花色をつける色素が形成される際に、2つの酵素が共に正常でないと色素ができない、という場合、片方が条件的に働く例は、副読本では補足遺伝子、と紹介されている例があるようです。これは見方によっては条件遺伝子となります。「植物遺伝学(朝倉書店)1987年初版」に、同様の例として植物に有害なシアン化合物が、酵素Aと酵素Bで2段階に生成される場合、A遺伝子をもつ個体とB遺伝子を持つ個体のそれぞれでは生育は正常だが、交雑によりAとBの両方をもつとシアン化合物ができて生育が阻害されるという例が補足遺伝として取り上げられています。

抑制遺伝子:こちらも、植物遺伝学に、イネ籾の着色遺伝子(Bf)と、Bfの抑制遺伝子(I-Bf)の例が取り上げられています。また、同じみんなのひろばに、ある遺伝子の変異によって花が八重になり、別の遺伝子の変異によって形質がもとに戻る例が紹介されていました。https://jspp.org/hiroba/q_and_a/detail.html?id=554

遺伝子の相互作用による遺伝様式は無限にあると考えても良いと思います。ひとつひとつの例は、なぜそうなったかを考える上ではとても有意義で面白いのですが、個々に暗記する意味はあまり感じません。

教科書と副読本の関係、ひいては受験における試験問題の問題について、我々は直接指導できる立場になく、上記は、現時点では当該委員会のみの意見となりますが、上の長い説明がご理解の助けになればと思います。
桝屋 啓志(委員長)他(遺伝学会・遺伝学教育用語検討委員会)
JSPPサイエンスアドバイザー
竹能 清俊
回答日:2023-05-30
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