一般社団法人 日本植物生理学会 The Japanese Society of Plant Physiologists

植物Q&A

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イールディンについて

質問者:   高校生   きみか
登録番号5789   登録日:2023-11-21
植物が成長する原理として、細胞壁が酸性の時に糖類の水素結合を弱めることで細胞壁を緩めるということを知りました。そしてそれを行なっているタンパク質がエクスパンシンやイールディンであることも知りました。エクスパンシンはネットで検索したらよく情報が出たのですが、イールディンについては全くと言っていいほど出てきませんでした。イールディンについて詳しく教えていただけないでしょうか?
きみか様

Q&Aコーナーへようこそ。歓迎いたします。回答が遅くなってしまいました。ご質問は植物細胞の成長のメカニズムに関する基本的な事柄なので、簡単に「イールディンとはなんぞや」と言う答えだけでは済まされません。きみかさんの質問から、細胞成長のメカニズムについて詳しいことを学びたいという熱意を感じましたので、回答として、この分野の研究の最先端におられる東北大学名誉教授、現神奈川大学教授の西谷和彦先生にお願いして、詳しい解説をしていただきました。内容はすこし難しい点もあるかもしれませんが、疑問がありましたら、またこのコーナーへ訪ねてきて下さい。回答を読めばお分かりになりますが、研究の進展が早い分野の情報は、どんどん新しいものへと新陳代謝していきます。特に生物学の分野では、少し前の高校や大学の教科書、参考書に記載されている事柄は旧くなっていることがしばしばあります。

【西谷先生の回答】
ご質問は、植物細胞の成長の仕組みの核心に触れる重要な問題で、しかも専門的な内容ですので、すこし長い回答になりますがご容赦ください。

イールディンについて:

ササゲ(マメ科)の芽生えの茎組織片をグリセロールに漬けると細胞の活動は停止しますが、蛋白質の活性は保たれます。この組織片を酸性(pH 4)にすると降伏閾値という力学的パラメーターが低下することを1995年にOkamoto A. et al. (1995) Plant Cell Environ 18: 827–830 らが見つけたのがイールディン研究の始まりです。降伏閾値とは物体に変形を引き起こすのに必要な最小の圧力のことです。物体を引っ張っても、ある力(正確には引っ張り応力)を加えるまでは伸び始めません。しかし、ある点(閾値)を超えた力を加えると急に伸び始めます。この閾値を降伏閾値と呼びます。降伏閾値は物体の性質を反映し、降伏閾値の低下は、物体が伸びやすくなったことを示します。

ついで、2000年に、Okamoto-Nakazato et al. (2000) Plant Cell Environ 23: 145–154は酸性環境下で降伏閾値を下げる作用の原因となるタンパク質を単離し、降伏閾値(Yield-Threshold)に因んでイールディンと名付けました。その後、Okamoto-Nakazato (2018) Physiologia Plantarum 163: 259–266は、イールディンタンパク質が赤血球表面の糖鎖に結合して赤血球同士を集合させ塊にする働き(赤血球凝集活性)と、多糖やオリゴ糖中のα-ガラクトシド結合を加水分解してガラクトースを遊離させる働き(α-ガラクトシダーゼ活性)の二つの活性を持つことを試験管内での人工基質を用いた解析により明らかにしています。しかし、α-ガラクトシダーゼの細胞壁多糖類中での真の基質は未同定で、イールディンが結合する細胞壁成分も不明です。また、他の研究グループによるイールディンタンパク質に関する研究は2023年現在、見つけることができませんでした。ですから、イールディンの二つの活性の生物学的な意味は現時点では不明で、細胞壁の降伏閾値を下げるメカニズムも現時点では未解明といえます。

ご質問の冒頭で質問者も書かれている通り、イールディン研究の前提となっていたのは、「植物が成長する原理として、細胞壁が酸性の時に糖類の水素結合を弱めることで細胞壁を緩める」とする考え方です。この考え方は酸成長仮説と呼ばれています。酸成長仮説はオーキシンが細胞成長を誘導する仕組みを説明するために提唱されたもので、イールディンの発見は、この仮説を支持する結果として当時は理解されていました。

しかし、その後、酸成長仮説そのものが大きく見直されています。ですから、イールディンについてのご質問に詳しくお答えするには、オーキシン作用の酸成長仮説についての説明も必要になります。そこで、少し長くなりますが、以下に私が理解している範囲で酸成長仮説の変遷について簡単にまとめておきます。


酸成長仮説について:

pH 4.1の酸性溶液がオートムギの幼葉鞘組織片の成長を促進することは、すでに、1934年にBonner (1934) Protoplasma 21: 406–423により報告されていました。しかし、学説としての「酸成長仮説」が提唱され、脚光を浴びたのは1970年になってからです。まず、Rayle et al.(1970)Plant Physiology 46: 250–253とHager et al. (1971) Planta 100: 47–75が、pHと細胞成長の関係についての詳細な実験結果を報告しました。

1973年になると、Cleland (1973) PNAS 70: 3092–3093は、オーキシンが細胞膜H+ポンプを活性化させ、細胞壁中にH+を放出し、細胞壁のpHを低下させることを報告し、Marre (1973) Plant Sci Let 1: 179–184はカビ毒の一種であるFusicoccinがH+ポンプの活性化により、細胞伸長を誘導することを、それぞれ報告しました。

それと同じ頃、AlbersheimのグループKeegstra et al. (1973) Plant Physiology 51: 158–173は 細胞壁多糖類であるキシログルカンやラムノガラクツロナンの構造を明らかにし、その解析結果に基づいて細胞壁構造モデルを提唱しました。このモデルは、セルロース微繊維の表面にキシログルカンが水素結合で結合し、キシログルカンを介してセルロース微繊維間が架橋されるとするものでした。この細胞壁構造モデルを基にして、Jacobs et a. (1975) Plant Physiology 56: 373–376らは、細胞壁が酸性化するとキシログルカンとセルロース微繊維間の相互作用が変化し、細胞成長が起こるとする仮説を提唱し、酸成長仮説を肉付けしました。

このようにして1970年代から1980年代にかけて、オーキシンが細胞膜H+ポンプを活性化し、細胞壁がpH 5以下の酸性になり、細胞壁多糖の相互作用が変わり、それにより細胞壁が緩むことで細胞が伸長するとする酸成長仮説が広く受け入れるようになり、オーキシンによる細胞成長の制御は酸成長仮説で説明できるとまで言われました。エクスパンシンや、イールディンは、この酸成長仮説を前提にその役割が理解されてきました。今も高校や大学初学年用の生物学や植物生理学の入門書に書かれているのは、その名残ということになります。

しかし、この酸成長仮説はあくまでも仮説であり、当時からいくつかの問題点が指摘されていました。Kutschera (2006) Science 311: 952–954 DOI: 10.1126/science.311.5763.952bは、オーキシンが細胞壁の酸性化を引き起こすことは事実ではあるものの、細胞壁の酸性化がオーキシンによる細胞伸長の直接の原因であるとは言えないことを、いろいろな事例を示して反証しています。最も強力な反証として、Kutschera (1994) New Phytologist 126: 549–569は、オーキシンが最適な細胞伸長促進を引き起こす時の細胞壁中のpHは4.8-5.0であるのに対して、Fusicoccinというカビ毒が細胞壁中のpHを4.8-5.0まで下げても伸長は誘導されず、pHを3.5-4.0に下げて、初めて細胞伸長が起こる事実を示しています。つまり、オーキシンは細胞壁の酸性化を引き起こすものの、細胞壁の酸性化だけでは細胞伸長は誘導されないという反証です。その後、Kutscheraの批判を覆す説得力のある反論は出ていませんので、現時点ではオーキシンの細胞伸長制御を酸成長仮説のみで説明できる現象は、限定的であると理解するのが合理的です。

一方、オーキシンのホルモン受容機構や情報伝達を介した遺伝子発現の制御については、2000年以降、膨大な知見が得られました。これら一連の分子生物学的な新知見を基に、酸成長説以外の視点から、オーキシンにより制御されるさまざまな細胞壁酵素が同定され、その機能が分子遺伝学や細胞生物学の手法で解析されています。これらの細胞壁酵素の中にはセルロースと相互作用するエクスパンシンや、キシログルカンを繋ぎかえるXTH酵素、ペクチンの修飾に関わるペクチンメチルエステラーゼなども含まれています。それらの役割の解明を通して、細胞壁が緩む仕組みの解明が進んでも良さそうなものですが、残念ながら、現時点ではオーキシンにより細胞壁の分子構造が変わり、それが細胞壁の力学的性質の変化を引き起こし、細胞壁が特定の方向に伸びる一連の過程をうまく説明できる単純明快なスキームは出ていないように思います。

以上、イールディンについてのご質問には十分にお答えできませんでしたが、イールディン研究が立脚している酸成長仮説についての現状はご理解いただけたかと思います。それにしても、質問者のご質問のポイントの鋭さには敬服いたしました。その鋭いご質問を頂いたお陰で、今も教科書に記載されている酸成長仮説の現状での理解をJSPPQ&Aコーナーで読者の皆さまと共有することができましたことは大変有意義なことと思っています。ご質問ありがとうございました。
西谷 和彦(東北大学名誉教授・神奈川大学)
JSPPサイエンスアドバイザー
勝見 允行
回答日:2023-12-11